美食家日記


 久しぶりに台所に立った。にんじん、じゃがいもを乱切り面取りし、ざっくり大きめに切ったたまねぎと共に雪平鍋にほうり込んで火にかけ、油をなじませる。なじんだら牛肉もしくは豚肉を加え、色が変わるまで火を通す。ほとんどの料理本では「キツネ色になるまで」と書かれているが、ここはひとつ「クマ色になるまで」火を通したいところ。

 黒煙がたちこめ発火寸前になったらすばやく火を止め、煮えたぎった湯を一気に注ぐ。爆発的な水蒸気がたちどころに視界を覆うが心配ご無用。これは、鍋の焦げつきを落としやすくするためのちょっとしたコツである。しょうゆ、砂糖、みりんをさっと回し入れて一昼夜寝かせればガンコな焦げもあらかた浮き上がってくるはず。

 鍋に蓋をしたら静かに目を閉じ、冷蔵庫から手探りで絹ごし豆腐を取り出し目を開ける。まな板の上につるんと着地させたのち、手の甲に垂らした醤油を「ずっ」とすすり、素手でひと口大にむしった豆腐を口内にすかさずほうり込む。

 これはかの魯山人が愛したという粋な食し方であり、これを台所に立ちながら「つまみ食い」的に食すとよりいっそう美味しく感じるのだから不思議なものである。シチュエーションも調味料のひとつであることを証明する好例と言えよう。知る人ぞ知る「通な豆腐の食し方」是非みなさんもお試しいただきたい。

びしょ濡れバトン


いつもお世話になっているhonyamiさんからバトンをいただきました。って、ちょっと!なんかハードル上がってますけどどういうことなんですか。でも、うれしいので受け取りました。このブログを見れば分かるとおり、気分だけは「はてな」ライクの「みそっかす」的ブログですが、おてやわらかにどうぞ。

【涙がちょちょ切れるぜバトン】

最近流したのはいつ? またその理由は?

たしか、馬の出産だったと思います。テレビで見ました。
「30才を過ぎると涙もろくなる」なんてことを言いますが、あながち嘘でもないようです。ちなみに一人暮らしをしていた頃、豚生姜焼きで白飯をモリモリかきこんだり、納豆ごはんで口元をネバネバさせながら「感動のご対面」的な番組を見て涙を流したりしていましたが、いま思えば人間としてすごく「ガサツ」だなって思います。

 涙 × 食い気

ダメ! コラボレーション的な書き方に騙されないで! カッコよくなんかないからね。その涙、あんたが思ってるより安いよ、安い涙だよ! 

今まででいちばん泣いたのはいつ?

痔になったときです。ちなみに種別はイボでした。
夜中に姿見で肛門の状態を確認したときは、一旦、見なかったことにしました。それくらいショッキングなことになっていたんです。それよりもなによりも「そういう状態」ですから、トイレで踏ん張ることが物凄く恐ろしいんです。死んだ方がマシ。とさえ思ったほどです。大袈裟ではなくあの恐怖は例えようがありません。ちなみにそのときは手術をしたのですが、偶然にも手術をした病院に、当時住んでいたアパートの大家が看護婦として勤務していて、あろうことか手術に立ち会ったのです。不倫以外のシチュエーションで大家が店子の性器や肛門を見るなんてことがあってもいいのでしょうか? 肛門と心が痛くて、かなり泣きました。

優しさに泣いちゃうタイプですか?自分の情けなさに泣いちゃうタイプですか?感動して泣いちゃうタイプですか?怒りすぎて泣いちゃうタイプですか?

笑いすぎて泣きたいタイプです。
膝くだけで笑ったりとか腰抜けになるくらい笑ったりとか呼吸困難になるくらい笑い続けたりとか、そういう状態にはここ何年も遭遇してないです。笑いの沸点が高くなったのか、はたまた感受性が鈍ってしまったのか。たぶん後者。なんかさみしい。

誰かを泣かせたことありますか?

たくさん泣かせてきました。この場を借りて謝らせてください。田中麗奈似のファミマの店員も、深キョン似の本屋のあの子も、深津絵里似の美容院の助手のあの子も、みんなみんなボクへの恋心を素直に打ち明けられず夜な夜な枕を涙で濡らしてたんだ。ボクが、このボクが、濡らさせてしまったんだと思う。君たちさえ素直だったなら両思いだったのに・・・。そんな彼女たちの心中を思うといまでもすごく泣けてきます。

逆に泣かされたこととかありますか?

小学校の校庭で少年野球の子供たちが練習をしてたんです。土曜日だったかな、すごく天気のいい日で。で、小学校3年とか4年とか、それくらいの子供たちが監督の指示を受けながら、真剣な顔つきで正面だけを向いて練習してて。で、そういうピリッとした空気が漂うなかをですね、真っ白い猫が何食わぬ顔で悠々とマウンドを横切ってるんです。だけど誰一人として猫には目もくれない。

なんでデジカメ持ってなかったんだろうっていまでも思うことがあるんですけど、緊張と弛緩の鮮やかな対比・・・っていうんでしょうか。まあなんにしろ、その光景が平和すぎるというか、あまりにも素晴らしい情景だったので涙が出そうになりました。

涙は何の味?

思いつかないので、ここはひとつ短歌でいってみましょう。
五七五七七にあわせて読んでください。

 あふれ出す小悪魔色の瞳から直にすすればひねくれた味

だからなんだっていうことはありません。

涙に対する貴方の見解を教えてください。

どう答えればいいでしょうか。質問の意図がわかりません。ていうか「涙」ってなんか純粋っていうか無垢っていうかピュアっていうか、そんなイメージがありますけど、結局のところ体液ですからね。上半身下半身問わずあんな所やこんな所、もう、なんか意外な所からもサラサラズルズルダラダラヌルヌルとサプライズな液をほとばしらせたり滲み出したりしてるじゃないですか。そういうのもひっくるめて体液ですからね。ふーん。って、なにをそんな「自分には関係ない」みたいな顔してるの? みーんなそうなの。分かった?

さあ、次のバトンを誰に・・・と悩んだのですが誰も渡す人がいないので、このバトンはコテカとして再利用します。ありがとうございました。

いまさら世界の中心で


 
 池脇千鶴が大胆なベッドシーンを演じた映画のことは前から知っていたし、ずっと気になっていた。なにせ、今をときめく売れっ子女優が脱いで魅せた珠玉の純愛映画なのだ。タイトルは「ジョゼと虎と魚たち」。チャンスがあれば見たいと思っていたが、なかなか触手が伸びずとうとうここまで来てしまった。とりあえずイントロダクションでも見てみようとYoutubeをまさぐると、難なく例のベッドシーン動画を発見した。小ぶりのおっぱいではあったが、彼女が躊躇なくブラジャーを外す場面は「ええ!?まさか!あの子が!?」感を存分に味わえるインパクト大のシーンであった。そしてその後、クスクス笑い合いながらのキスからディープキスを経て、いよいよ火がつき加速した妻夫木によるおっぱいペロペロ攻撃開始直後、二人はこんなやりとりを交わす。

 ペロペロされながら池脇千鶴が言う。
「・・・・・・ねえ、なんかしゃべってよ」
 ペロペロしながら妻夫木が言う。
「え? ・・・・・・ごめんそんな余裕ない」

 話は飛ぶが、「愛の新世界」という映画がある。ざっくり言うと、昼は劇団女優、夜はSMクラブの女王様としての顔を持つ鈴木砂羽と、ホテトル嬢演じる片岡礼子との青春友情ストーリーといったところか。当番制で劇団員全員とセックスして全員性病、夜は女王様となって冷やかし客を本物のMに目覚めさせるなど目覚ましい活躍をみせる鈴木砂羽。キチガイ客により命の危険に晒されている片岡礼子のもとへ用心棒役の哀川翔が登場し、サングラスのレンズをバリバリと囓りながら不敵な笑みを浮かべるなどなど、この映画の見どころはたくさんある。そして、その見どころの随所随所に織り込まれる「え、AV?」と見まごうばかりのシーンたち。しかし、しかしそれでも最後には青春映画として、完璧な着地を見せる。そして私はその瞬間、いつも震える。R指定でありつつも爽やかな青春映画。この映画は間違いなく傑作である。(個人的に)

 もうひとつ、「ひとひらの雪」という映画がある。これに関してはもう説明の必要はないだろう。爆発的な衝撃を受けながら鑑賞した。こんなにエロくていいのかと。当時の、アダルトビデオ未経験中高生の脳内がただならぬ興奮のるつぼと化していたことは間違いない。だいぶ前の記憶なので具体的にどうこう言えなくて申し訳ないが、秋吉久美子と津川雅彦の濡れ場のいやらしさたるや、もはや「R指定」というよりも「どうにでも指定」であって、そのシーンに私たちが見いだすのは性欲。ありのままの性欲のみ。まるごと性欲。あるいは、性欲むき出しちゃいました。といった感じの、本能に抗うことなく快楽を追求する人間の記録なのであった。

 ここで話をジョゼに戻す。人気若手女優によるおっぱい丸出しベッドシーンという本来あり得ない超付加価値映像を前にしてチンコがピクリともしないのはどうしてなのか。私は困惑した。まだそういう年齢ではない。もっとイケるはずなのに。結論を言おう。すべての原因は純愛。純愛というモザイクが我々の下半身瞬発力を強烈に抑制していたのだった。

「・・・・・・ねえ、なんかしゃべってよ」
「え? ・・・・・・ごめんそんな余裕ない」

 真っ只中に、こんなセリフ言うだろうか。よしんば、よしんば女が「なんかしゃべって」と問うたとしても完全に無視し、一心不乱にペロペロすることこそが「余裕ない」ことを表現する最良の答えだ。私が思うに、純愛モザイクのかかったベッドシーンなど、見せパンや見せブラと同系列に並べて語られる、謂わば『見せセックス』である。ボクたちワタシたちすごくすごく純粋に愛し合ってるのー。って、そんなこと考えてセックスする人間なんていない。嘘だと思うなら、自分のを撮影して見てみればいい。ほら、一心不乱。

 いまや世界は純愛物語に満ちあふれている。そして、どの物語にもレイプ、不治の病、恋人の死といった要素が方程式のように用いられている。純愛はそういった飛び道具抜きには語れないものなのだろうか。そろそろやめにしませんかそういうの。安っぽいから。

 順番が逆なのを承知の上で言うのですが、ジョゼはちゃんと見ようと思います。ケチをつけたからにはきちんと見なくてはならないと感じているからです。必ず見ます。池脇千鶴のおっぱいを重点的に見ます。それでは、えー、最後になりますが、ひとつだけ言わせてください叫ばせてください。いいですか? 心の準備はいいですか? いきますよー、せーの。

 純愛禁止!!!(もちろん世界の中心で)

 

ロックンロール日記


 ほぼ直線のみの通勤路に飽きて別ルートで帰る。全部の窓を全開にして、ただただ広いだけの農道へと折れ、Tシャツをはためかせる夕風に体温を奪われながらひたすら車を走らせた。対向車も後続車も見えない時速65キロ。「チン、コッ!」言葉のチョイスに意味なんてない。大声を出してみたかった、ただそれだけのこと。すうう、と大きく深呼吸をした瞬間、むせ返るほどの堆肥臭があっという間に車内を制圧した。これが、俺が住む町の現実。だからといってあたふたと窓を閉めたりはしない。車内をがむしゃらに暴れ回る芳香にまみれながら、何事も無かったかのように、しっかりと受け止めるようにして、ただただ走り抜けた。ロックンロール。

 コンビニで43円のお釣りをもらった。1円足りない。「あの、1円足りないんですけど」手のひらの小銭をそっくりそのまま差し出しながらぶっきらぼうな口をきく。たった1円だろうが、足りないものは足りないに相違ない。「失礼致しました」メガネでハタチの店員が1円玉を43円の上にカチリと落とす。「ありがとう」俺はそう言ってすかさず手のひらの44円を募金箱へザラザラと流し込みレジに背を向ける。なんの募金かなんて知らない。膨らむサイフが嫌いなだけの、俺は偽善者なんだ。ロックンロール。

 街を歩きながら熱い屁をした。どうやら間違えてしまったらしい。足をくじいたような歩き方でデパートのトイレに立てこもり、ウォシュレットでじっくり時間をかけて清潔にしてから、丸めたトランクスをゴミ箱へ投げ入れた。ぐわんぐわんと回って揺れるゴミ箱。俺は振り返りもせず街へと飛び出した。そして、下半身に風を感じながら駅までの道をどこまでも歩いたんだ。ロックンロール。

 カシュ。ホチキスの芯切れ。たまに使えばこのザマだ。トイレットペーパーだってそうだし、コピー機だって用紙切れ。今にして思えば交換ばかりしている。俺は生まれながらの交換手なのかもしれない。こうなったら、なんだって交換してやる。タイヤだってオイルだって電池だって日記だってタンポンだって、なんだって交換してやるんだ。ホチキスの芯をもらいに総務へ行くと、スナック菓子の袋を開けてほしいと頼まれた。10時のおやつ。ホチキス欲をくじかれ焦れつつオーザックの袋を引っ張る。これは、なんて手強い。ぬ、ぬぉっ!!! 掛け声とともに噴火するオーザック。そのサクサクした物体はスローモーションのように天井高くまで舞い上がり、そして白い花びらのように体に降り注いだ。そのとき俺はなんだか、祝福された気分になっていたんだ。ホチキス、オーザック、ロックンロール。

セプテンバー、犬。


 あるところに犬がいました。
 犬は、腰のまがったおじいさんと暮らしていてそれはたいそう可愛がられていました。犬はおじいさんのことが好きでした。

 朝・昼・晩の散歩に出る前、おじいさんは小屋の前のビールケースに立って見下ろしながら「おい、犬。行くど」とビジネスライクに言い放つのが常でした。

 それでも犬はおじいさんのことが好きでした。

 ヨタヨタ歩くおじいさんの後ろをヒタヒタ追って、朝の駅前に並んで立ちました。改札から吐き出された女子高生の群れがおじいさんと犬を取り囲みます。

「キャーかわいー!」
「そうじゃろうそうじゃろう」
「ちょーかわいいー!」
「いくらでもなじぇたらよかろう」

 そうして女子高生が犬を撫でているあいだ、おじいさんはほぼ半目になりながら女子高生の空気を深呼吸で体いっぱいに取り込み「ええのう、ええのう」と帰りの道すがらで呟きました。

 それでも犬はおじいさんのことが好きでした。

 昼は、あてどなく歩きました。そうしていると、大根畑から突如として現れたあき竹城似の中年女性が「あらかわいごどー」と近寄って来ました。おじいさんは歩みを止めることもせず完全に無視を決め込みました。

 それでも犬は、おじいさんのことが好きでした。

 夕方は高級住宅街のスーパー前に並んで立ちました。

「きゃあ、かわいらしい。なんて名前かしら?」
「犬じゃ」
「へ、へえー。それにしてもラブリーね」
「そうじゃろそうじゃろ、なじぇたらよかろ」

 そうして、スカした大きめのサングラスをかけた彼女たちが犬を撫でているあいだ、おじいさんは半目でもってお洒落かつグレードの高い空気を大きく体内に取り込みクラクラしつつ、胸の谷間に視線を注いだりしました。

 そのときです。おじいさんが密かに「ボンキュッボン」と名付けている豊満な体つきの若い婦人が「ちょっと!ジジイ!何見てんの!?」と叫び出しました。バレたのです。おじいさんは脱兎のごとく駆け出すと、犬が追いつくのもやっとの早さでどこまでもどこまでも、どこまでも走りました。

 人気のない山裾のあたりまで来たとき、傍らに湧き水の立て看板を見つけました。おじいさんは這いつくばるようにして夢中で水を飲みました。犬もたまらずぺしゃぺしゃ飲んだのですが、あまりに夢中で飲んだので酸欠で湧き水に落ちてしまいました。「犬!」そう言って手を差し伸べたおじいさんも落ちました。

 おじいさんは呼吸の荒いずぶ濡れの体を草むらに横たえ、しばらくのあいだハアハア言っていましたが、ちらりと犬を見やると突然、笑い出しました。ひきつけを起こしたように笑いました。そして、笑いすぎの酸欠でまた落ちました。

 犬は、おじいさんのことを、ずっと前から好きでした。

 数年後、おじいさんは病気を患って入院し、犬は孫娘によって引き取られました。犬は、もうおじいさんには会えないような気がしていました。孫娘の家族は犬のことをロッキーと呼びましたが、よもや自分のこととは思えず、ただおじいさんに会えない寂しさでみるみる痩せてゆきました。

 犬は、孫娘の膝の上でした。「ロッキー」という名前にも慣れてきたというのに声が出すことが出来ません。扇風機のぬるい微風を受けながら、ただ、弱々しく伏せるのみです。セミのうるさいジージーが止むのと同時にカルピスの氷がカランと音を立てました。妙な気配を察知した犬が薄目を開けると、そこに、おじいさんが立っていました。半透明のおじいさんでした。犬はうれしさたまらずシッポを振ったのですが、おじいさんは犬に目もくれず、孫娘の首筋あたりで鼻をくんくんさせるばかりです。

 すっかり忘れられてしまったのでしょうか。犬は悲しくなって目を閉じました。するとおじいさんが「おい、犬」と低く呼びました。目を開けてみると、ふわふわ宙から見下ろしながら「おい、犬。行くど」とビジネスライクに言いました。

 犬はうれしさのあまりワン! と飛びつきました。そして、おじいさんに撫でられながら振り返ると孫娘の泣いている姿が見えました。傍らの母親は「最後に、ロッキー、笑ってたね」と言って、犬の体と孫娘の体をさすり続けています。

 向き直るとおじいさんも泣いていました。もう、この部屋で、泣いていないのは犬だけです。犬は、泣いてないことにするためにおじいさんの顔を舐めました。とてもしょっぱい味がしましたが、犬は我慢して舐め続けました。

 それは9月の、ひどく暑い日のことでした。