業務連絡007 謝罪文


Subject:[業務連絡]謝罪文
To:安達専務
Fm:加藤

専務に合わせる顔がありません。
わたくし加藤は沢田様との話し合いで、
重大なミスを犯してしまいました。

専務から、
用心するようにとアドバイスされていたにも関わらずです。

言い訳するつもりは毛頭ありません。
ただ、後進への指導材料として、
事の顛末を記させてください。

***

夕焼けが後光のように照らし、
その豪邸感を際立たせた沢田邸。
これまで何度、足を運んだことでしょう。

案内された居間に入って驚いたのは、
いつもの絢爛さがすっかりと失せていたことでした。

調度品は14インチのテレビとちゃぶ台のみ。
しかも、そのちゃぶ台には、
ホッケと青菜のおひたしと冷や奴、ビールが一本。
それに、白米とみそ汁が三人分配置されていたのです。
沢田と夫人、そして私の分なのでしょう。

その部屋にあるものすべてが、
取って付けたような質素さでした。

三人でちゃぶ台を囲むと、
デヴィ夫人に酷似した沢田夫人の羽織る割烹着の白が
まばゆいハレーションを起こし、
沢田のスキンヘッドが反射する裸電球のオレンジが
夕日のような眩しさで照らしてきます。

そして、私を一番不快にさせたのは、
しかめ面しか見せたことのない二人が、
始終、笑みを浮かべていることでした。

「さささ、カトーさん、召し上がってくださいよ」
「遠慮なさらないで」
「お口に合わないかもしれないですけど・・・」

おそらく、
清貧な庶民派というアピールを兼ねた懐柔策なのでしょう。
鳩尾の辺りから粘っこい怒りが沸々とわいてきます。

「カトーさん、どうですか? 一杯」
無言のまま手で遮ると、
目を合わせ首をかしげる二人。

普段はお茶も出さない彼らの行動のひとつひとつが、
そして、ものの言い方がいちいち癇に触れてくるのです。

「カトーさんには申し訳ないけど、ボク、一杯だけ頂いちゃおうかナ」
沢田はそう言ってグビリと飲み干すと、
ぷふーと息を吐き、大きなため息をつきました。

「・・・ところで例の件だけど」

私は確信していました。
ため息の次に来るのは、このセリフだと。
相当な金額を吹っかけてくるに違いないと。

と同時に、
仕掛けるならこの瞬間しかない。
そう確信していました。

彼が口を開いた途端に、あらん限りの力でちゃぶ台を叩き、
飛び跳ねる食器でもってびびらせ、戦意を喪失させる。
古典的な方法とはいえ、ここで機先を制しなければ相手の思う壺です。

一秒を百分割したようなコマ送りの時間の中で、
全神経を彼の唇の形状、ただ一点へと集中させます。

思った通り、
彼の唇がすぼまり始め、

「・・・と」

の発音を確認した瞬間、
私はすかさず拳を大きく振り上げました。
空中で制止する拳。

あとは振り下ろすのみ。
歯ぎしりするほど奥歯を強く噛みしめ、
拳を下方に向けたその瞬間のことでした。
ちゃぶ台がキラリと光って見えたのです。

その光の正体を、
これまでの人生経験に照らし合わせた結果、
あるひとつの答えが弾き出されました。

・・・このちゃぶ台、木じゃない。
このちゃぶ台の素材は、木とかじゃない。
これは、
この輝きは、
そう、
 
大理石か何かだ。

 
しかし時すでに遅し。
振り下ろされた右手を止める術はありません。

私は、スローモーションに見える拳を眺めながら
無常を感じていました。

何も起こらない。
茶碗が飛び跳ねることも、
大きな音を立てることも。

私が振り下ろしたこの拳は、
この空間の何ひとつをも変えることが出来ない。
そう、何ひとつとして。

 
ぺち。

すべてのエネルギーを吸収した、
ちゃぶ台という名の大理石は、
湿った効果音だけを口にして、
顔色ひとつ変えず、どっしりと佇んでいます。

猛烈な手の痛み。
静まりかえる卓上。

ああ、やはり何も起こらないのですか。
ですが神様、このままではあまりにも不様です。
どうか、どうにか、力をお貸しください。

さあ、今からでも遅くはない。
だから、跳ねろ! 茶碗よ!

・・・・・・。

右手を握りしめて念じても、
手の痛みと静寂が増すばかり。

ああ、もう、
何もかもが終わりなのだ。

目を伏せ、諦めかけたときです。
卓上で何かが動くのを、視界の端に感じたのです。

強く念じれば叶うこともあるんだ。
心の拳を握りしめ、目を上げ確認するとそれは、
みそ汁の椀でした。

そしてその椀は、
「食卓のハイドロプレーニング現象」によって、
こちらへ向かって音もなくすーっと、
真っ直ぐにすべって来ているのです。

「アッ!」

私は、両手でちゃぶ台の瀬戸際に壁を作り、
あわやのところでみそ汁を食い止めました。

ふう、
・・・・・・助かった。
という安堵から一瞬で我に返ると、
入れ替わりで強烈な羞恥心が襲いかかって来ました。

勢い込んで振り上げたはずなの拳が、
か細い声を上げつつ、みそ汁を食い止めることになろうとは。
ああ、耳が、顔が、体中が、熱い。

これは罠だったのです。

もし、みそ汁が滑るところまでが計算ずくだったと考えると、
常軌を逸していて、到底、私の敵う相手ではありません。

そんな相手は、
目を伏せる私を眺めながら笑っているのでしょう。
肩を揺らして笑っているのでしょう。

ですから私は、顔を上げることが出来ず、
彼の差し出す800万円上乗せの契約書に、
黙ってサインするのがやっとだったのです。

私は完全に負けました。
打ちのめされました。
しばらく立ち直れそうにありません。
後日、辞表を提出しに伺います。

本当に、申し訳ありませんでした。

以上

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∵     (株)ラブ・テクノス     ∵
∴    加藤 光郎 kato mitsuro     ∴
★ ☆ E-mail:k_mitsuro@love-technos.co.jp
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参考リンク:
ハイドロプレーニング現象

業務連絡007 謝罪文」への3件のフィードバック

  1. 昔、よく経験したよなあ。落ちるんじゃないかとヒヤヒヤした記憶が。

    近年はテーブルクロスみたいの敷かれて経験しなくなったけど、
    あの食卓に布かける行為ってのは、今だにダメだな。
    見てるとイライラするし、なんか水平が保たれてない感じがしてね。

    ビニール地のやつなんて最悪だよ。腕に張付く感覚なんてホラーだね。

    なにいってんだオレ。

  2. >J.Sky殿
    確かにねえ、
    テーブルクロスに限らず、
    ドアノブのカバーとか、
    テレビの上の布とか
    炊飯器にかぶせた布とか、
    テーブルの足の巾着袋みたいなカバーとか。
    そういう、いわゆるカバー系って、
    貧乏くさくて悲しい気分になるよね。

    どんどん本題から外れてくな(笑)

  3. 歯ぎしりの治療

    歯ぎしりを治療するにはしっかりと原因を知り知識を得ましょう。

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