駅前の垢抜けない居酒屋に首を揃えた佐藤と鈴木と高橋。ニッポンの苗字ベスト3のありふれたボクらは、擦り切れた座布団に胡座をかき、または立て膝をつき、壁にもたれ、それぞれ思い思いの格好でもって、ありふれた料理を食み、ありふれたアルコールを飲み干し、追加し、トイレと座布団とを何度か行き来し、新年の抱負的なことを交わし合ったり、『アイドル歌手を脱がせたい』とか『AV女優に服を着させたい』とか、そういったことを話し合った。
佐藤がカウンターの奥に呼びかける。
「おっちゃん、酒気帯び牛乳!」
「なにそれなにそれ? オレもそれ!」
「高橋は?」
「えっ!? あ、そしたらオレも!」
勢いで頼んでしまったが、出てきたのは焼酎の牛乳割りだった。3人で白いグラスを傾けると酒席はたちまち給食の時間的な雰囲気を帯びた。その旨を告げると、佐藤と鈴木は「あー」としか反応しなかった。中学の頃、遊びに行った佐藤の家で、おやつにピクルスが出てきたことがあった。今となってはどういうチョイスセンスなのかと驚くが、当時、ボクはピクルスというものを知らなかった。佐藤が「きゅうりの酢漬けだよ」と教えてくれた。途端にボクはひらめいて「オイ、酢漬け!」と鈴木を呼んだ。確かあの時も、今みたいに「あー」な反応だったはずだ。
佐藤が「無茶をしたい」と言った。例えば? と聞いてみると、『メジャーデビュー』とか『高級寿司の大食いに挑戦』とか『ノーパンで電車に乗る』とか『女子高生に胴上げされたい』とか『神と和解したい』とか、無茶というよりも、剥き出しの欲望たちを次々と並べ立てた。「それは違う」ボクと鈴木が声を揃えると、むむうと考え込んで「じゃあ信号無視は?」と言った。
なんだか佐藤は、無茶と童心とを混同しているようだった。まあ気持ちは分からないでもない。ボクらはずっと大人の階段を登ってきた。出し抜けに子供のコツを会得するのは困難だ。童心に返るには、子供への階段を一歩一歩登らなければならない。その手始めとしての信号無視。当初の提案に比べ、いささかスケールが小さすぎるものの「そのくらいなら」と思わせる手のひらサイズの無茶に、ボクと鈴木はつっかえながらも頷いた。
外はかなり冷えていた。ごくごく細かい雪がひょろひょろと落下してくる。
「降るって、言ってたっけ?」
空中を見上げながら呟く。
「あー」
反応を示す二人。落下してくる雪の音を聞くことが出来そうなほど、しんとする駅前。見渡す範囲には、ボクたち以外の生命体は確認できない。
「急げ!」
突如、駆け出す佐藤。慌てて後を追うボクと鈴木。赤から青へと変わったばかりの横断歩道で佐藤は立ち止まる。ボクと鈴木もその横に並ぶ。なんなのこれ? という視線を送ると「信号、無視」と、『どう? この、逆転の発想は』みたいな顔つきで言ったので、なんとも癪に障った。佐藤はすでに童心をマスターしていた。というよりも、いまだに大人の階段を登っていないのかもしれない。そしてたぶん、それに付き合うボクと鈴木も。
そうして3人で、顔面を青く染めながら、信号無視をした。
唐突に吹き抜けた強く短い風が、酔いで火照った頬を冷ます。考えてみるに今ままでのボクの生き方は、青信号でさえ、こうして渡らずにいたような気がする。これからは青信号はもちろん、赤信号でもどんどん渡ってぐんぐん進んで行こうと決めた。それがボクの、今年の抱負だ。佐藤と鈴木には黙っておくことにした。だって、反応はたぶん「あー」だ。