応援するなら金をくれ。


 最近、とあるCMを見るたびに釈然としない気分になる。

もっと言えば、気分が悪くなる。後から効いてくる感じで。ゲド戦記応援CMのことだ。アサヒ飲料、読売新聞がそれぞれ展開している。CM動画は用意できないが、WEBの特設サイト、またはニュースリリースが以下のリンク。

読売新聞(キャッシュ)
アサヒ飲料(キャッシュ)

 アニメ映画を「応援する」ってどういうこと?野球とかサッカーとかバレーボールを応援するなら分かるけど・・・え?スポーツ?ゲド戦記ってスポーツなの??と、小学生のような純粋な疑問を消化できずに、たくあんを掴む箸の動きが止まる。「ねえ!アニメってどうやって応援すんの??」と30過ぎて母を困らせてみたい衝動が襲ってくる。

 だけど、要するに、「お宅んとこの例の、ホラ、新しいアニメ、間違いなく大当たりしますやろ?いやいやいや分かってまんねん。いや、他でもないそれを見込んでお願いがあるんですわ。ちゅうのは、ウチのCMに使わしてもらいたいちゅうことなんですわ。いやいやいや、みなまで言わんとも分かってまんがな、アニメはようけゼニかかるっちゅうのは。せやから、・・・なんぼほど要りまんの?」ってことでしょ?

 飲み込みにくい。オブラート7枚で包んだ大人の事情くらい飲み込みにくいものはない。タイアップを否定するわけではなく、飲み込めないのは、それを「応援」と呼んでいることだ。「タイアップ」=「応援」という言い換えの、なんとも言えない気持ちの悪さ。それは、『高校球児最後の夏、母校の応援』・『生まれたての小鹿が足を震わせて立つ瞬間の応援』・『全財産を掛けた単勝一点買いの馬を応援』などといった、応援業界では押しも押されぬ、損得勘定抜きの「本気の応援」に対して失礼ではないだろうか?

 ちなみに、「どうやって応援するの?」と質問にどういう返答をするのか気になるので、これを読んだ小学生は、企業にメールを送るように。夏休みの自由課題としては、いいテーマだと思うので、ぜひチャレンジしてもらいたい。

 あと、こんなのもあった。

メリット(キャッシュ)

 シャンプーがアニメを応援て。コマーシャル情報→コラボレーションCMから動画も見られますん。

MOTTAINAI友の会


参考記事:「MOTTAINAI」について。

 「もったいない」ってよく聞くけどあれ、どうなんでしょう。いや、活動自体は素晴らしいんです。だから文句言うつもりなんかさらさらないですし。でもなあ・・・と思うんです。懸念してるんです。
 
 その前にですね、私の低感度アンテナでもキャッチ出来てますから必要ないでしょうけど、もったいないの活動について、上っ面で説明します。

 ケニア人女性のワンガリ・マータイさんが来日した時分に「もったいない」の意味を聞いて感激したと。『消費削減(Reduce)・再使用(Reuse)・資源再利用(Recycle)の3つの単語を、たったひとつの単語で表現できるなんて!』と。存在しないらしいんですね他の国には。「もったいない」に匹敵する単語が。で、のべつまくなし「MOTTAINAI、MOTTAINAI」って世界中に言いふらしてブレイクした。と、こんな具合です。

 確かにね、缶コーヒー1本でも袋に入れようとするでしょ、入れ込んでくるでしょ、コンビニの店の員は。弁当の容器だって捨てようとすると、やけにかさばるし。あと、1本1本袋に入った爪楊枝。どうかと思います。消費削減(Reduce)の視点から見ると。過剰包装はやめよう、って思いますよ。なにかにつけて動きに無駄が多い私でさえも思いますよ。

 それから、再使用(Reuse)・資源再利用(Recycle)の視点から考えると、風呂水を洗濯に使うのは言うに及ばず、スーパーのチラシを刻んでメモ帳にしたり、小さい石鹸同士をくっつけて1個にしてみたり、蛍光灯も小さい輪のやつだけ点灯するとか、ウェットティッシュは洗って乾燥させてノーマルティッシュとして使うとか。

 要するに「もったいない」イコール「みみっちい」なんです。『もったいないと、みみっちいは意味が違うよ。』なんて奇麗事言ってたら、この活動は成功しないんです。意味は違っても行為は同じ。そこをはっきり認めていかないとダメだと思うんです。食卓でホッケつつきながら、『セレブになりたいの。』なんて言ってるOLにも、その事実をはっきりと突きつけるべきなんです。

 これが、この活動の最大の問題点。「みみっちい」に耐えられない人間の弱点。私たちはひとつ上のステージへ行かなければならない。冒頭で「でもなあ…。」と呟いたのはそういうことなんです。

 この問題を解決する具体的な方法は、「MOTTAINAI」だけではなく「MIMICCHII」を並行して全世界に広めていくこと。私たちが好きな、「赤信号、みんなで渡れば怖くない」に倣って、「みみっちい、みんなでやれば恥ずかしくない」を裏スローガンとして。

ビバ!みみっちい。

あなたとなら死んでもいい。


 二葉亭四迷は「I LOVE YOU」を「あなたとなら死んでもいい」と訳した。という文章を読んで奥歯がガタガタ言うくらいのショックを受けた。と同時に胸が苦しくなってドキドキがしばらく止まらなくなった。

 もし二葉亭四迷が生きていたら、「すげぇよあんた」と絶賛して、近くの定食屋で生姜焼き定食とビールでもおごって、帰りにまるごとバナナをデザートとして握らせたいくらいだ。

 なんでこんな訳にしたのか、その意図を知りたくて検索してみたらば、ツルゲーネフの「片恋」を翻訳したときに生まれたとのこと。ツルゲー・・・読んだことねえなあ、と苦手意識に遠い目(白目)をして(剥いて)しまったことは置いといて、ツルゲーネフはロシア人。もちろん英語じゃないので「I LOVE YOU」にあたるロシア語を訳したというのが真相らしい。なんつうややこしい。ついでに言えば、「あなたとなら死んでもいい」以外にも、「死んでもいいわ」と訳したとするサイトもあったりして、情報が少々錯綜。もひとつ言えば、「I LOVE YOU」を日本語に訳したのは二葉亭四迷が初めてで、しかも当時の日本には「貴方を愛しています」という日本語自体がなかったらしい。

 どっちにしろ、嫉妬から素手で電話帳を破りたくなるくらいにかっこいい訳なことには変わりなし。例えば手近な翻訳サイトで「I LOVE YOU」を入力してみると「私はあなたを愛しています。」と出た。昼ドラだって、こんな税込み278円くらいの安ゼリフ使わない。確かに間違ってる訳じゃないけど「愛してる」でさえ恥ずかしがって言えないのが日本人なのに、なにをかいわんや。

 その証拠に「貴方を愛しています」という日本語がなかったのは、日本人が得意とする回りくどい言い方で愛を伝えてきたからなんじゃないかと。「君の味噌汁が飲みたい」だの「ずっと一緒にいてください」だの「一緒に税金を払って行こう」とか、意地でも「愛」を使わない愛の表現に血道を上げていることからも分かるんじゃなかろうか。

 ちなみに、二葉亭四迷を読んだことがあるような無いようなアホ面な私ですが、二葉亭四迷の名前の由来だけは知っている。小説家になろうとする彼に父親が「くたばってしめえ」と怒鳴ったから。というボキャブラ天国みたいな理由。そんな自虐的なセンスが限界まで研ぎ澄まされて、「あなたとなら死んでもいい」をひねり出したんだと思いたい。

 明日、本屋で「浮雲」を立ち読みしてみようと思う。