まちがい供養


 
 玄関から一歩踏み出した瞬間にやわらかい風がひとつ吹いた。

 あー、気持ちいい。
 酷暑の中、墓参りへ向かう我ら末裔へ向けた、先祖からのささやかな贈りものかもしれない。やらたと重くてかさばるキャノーラ油なんかより、なんぼか気の利いたお中元ではないか。

 墓地へ着くと地形のせいなのだろうか、髪がなびくほどの風に変わっていた。各家の先祖が小さな風を持ち寄り、団結だか談合だか協力だかコラボレーションをして大きな風を巻き起こしているのかもしれなかった。そんなふうに妄想してみると、ありがたいような薄気味悪いような気分になったが、こうして体にまとわりつく余分な熱を払ってくれるのだから、なんにしろ助かっている。

 墓石に水をかけ、花を生け、線香を供え、手を合わせる。
 そうやって本家の墓を済ませ次に向かったのが親類の墓なのであるが、どうも様子がおかしい。近づくにつれ視界が悪くなってゆくのだ。

 これは、ボヤ!?
 うわあ、もう、なんか、すごい、煙が。
 ああ、目が痛てー。ていうか、何が燃えてんの?

 と見れば、束ねるための紙も解いていない線香がまるまる一束ごろり、炎と煙をめらめらもくもくさせながら横たわっていたのである。祖父、父、母、弟、そして私は、あららなんだどうすんだよこれ!? などと軽いパニックになりながらも、インチキ祈とう師みたいにバツ印を描いてぶんぶん振り回したり、意識が遠のくほどに強く息を吹きかけたりして、なんとかかんとか鎮火させたのだった。

 にしても、なんて大雑把な線香の供え方なんだ。もはや供養じゃなくて燻製だ。先祖の燻製。で、「センゾの燻製」って書いたらなんか珍しい魚の燻製みたいじゃないか。って、そんなことはどうでもいいよ。

 線香ぐらい、ちゃんと供えましょうよ。
 まるごとバナナみたいな供え方はやめましょうよ。
 たとえ供養の気持ちがなくたって、体裁だけは整えましょうよ。
 だって、オレ、もうこんなにヘロヘロの汗だくで頭に来てんだから。

 
 そんな気持ちを見透かしたのか、ひと際強い風がびゅううと吹いて、全身を包む怒りと熱をきれいに拭ってくれた。あー、気持ちいい。

 ありがとうセンゾ、いや、ご先祖様。

パーソナルな風よ吹け


 

senpuki

 PCショップの入り口に扇風機がディスプレイされていた。
 よく見かける光景なのだが、どうも違和感がある。売り場に棒立ちして考えてみたが正体が見えてこないので、携帯電話で写真を撮っておいた。PCに取り込んで解析するのだ。

 落ち着いて眺めると、写真からいくつかのことが分かってきた。 
 まず、「1、680円」の赤い文字が飛び込んでくる。しかし問題はここではなく、その上の「主な特徴」にあった。

 「ロータリースイッチ 弱 <=> 強 切替」

 メカに疎い人間であれば、「ほほう」などと漏らすかもしれないが、要するに「風量調節は2段階だけ」という、マイナスのセールスポイントなのである。

 そして、「ロータリースイッチ」などど呼ばれるものの正体は、何のことはないダイヤルのことで、ガチャガチャと回す大昔のテレビのチャンネルと似ている。こうしてみると、もう、なんていうか、弁解の余地がないほどにコテコテの旧型扇風機であることが分かる。

 鉄腕アトムが青空を飛び回るはずの、「21世紀」という「あの頃の近未来」に今、ボクたちは存在しているのに、風量調節2段階の扇風機という現実を突きつけられては、近未来はまだまだ遠い未来なのだと実感してしまう。

 そこへ来て、「パーソナル扇風機」の商品名だ。
 1、680円という激安価格であるが、「パーソナルコンピューター」と同じ意味合いの「パーソナル」を頭に付与することによって、他社扇風機の追随を許さぬ最新のイメージを喚起させ、スペックの貧弱さをカバーしようという魂胆が見え隠れする。おおかた、「パソ扇」とでも呼んで欲しいのだろうが、そうはいくか。

 それにしても、「パーソナル」という言葉は便利だ。
 いつもの商品も、違ったイメージで私たちの前に現れる。
 例を挙げるなら、

 パーソナル電球
 パーソナル軍手
 パーソナル馬鈴薯
 パーソナルペヤング
 パーソナル耕運機
 パーソナル除草剤
 パーソナル仏壇
 パーソナル墓石

 といったところか。あとは各自の課題としよう。

 同じ手法により、売り上げ不振の商品や影の薄いものも、「パーソナル」の付与により、俄然、イキイキしてくる。

 パーソナルメンマ
 パーソナルサンバイザー
 パーソナルサスペンダー
 パーソナル鳥取
 パーソナルPS3

 またいい加減なことを。という声がちらほら聞こえてくる。しかし、企業がその存在に気付いてないだけで、「パーソナル」はコロンブスの卵的発想なのだ。

 私は実際に、商品化第一弾として「パーソナル鼻毛カッター」の開発を進めているところだ。どうか、アイデアの盗用は勘弁願いたい。万が一の場合、法的手段を取ることも辞さない覚悟である。そのときは、腕利きのパーソナル弁護士があなたの相手になるだろう。

ユニクロック


  
http://www.uniqlo.jp/uniqlock/

ユニクロのシャツを着た、
きれいなおねえさんたちが、
キレのある楽しい動きを、
無表情でしています。

5秒ごとにパターンが変わります。
それが延々と繰り返されます。

これは恐ろしい。
何がって、
気付いたら小一時間も経ってるってこと。
時計なのに。

ポイントは無表情。
なのに、コミカルな動きもしたりする。
ツンデレ的な要素も含まれてますね。
そして、おなかのチラリズム。

よくできてます。
ついつい時間を忘れてしまうのは、
そんなところにありそうです。
などと、他人事のように理由を述べてみました。

女性が見ても、もちろん楽しいはずです。
動きがかわいいんです。

さあ、どうぞ。
http://www.uniqlo.jp/uniqlock/

 
ほら、
この記事に戻ってくるまで何分ですか?
何分かかりましたか?
かかったんですか?
私はそう聞いてるんです。
ひとのことを変態扱いしたくせに。
もう、知らない!(被害妄想)

 

新茶をしましょ。


 

 新茶の季節である。
 「八十八夜」と呼ばれる、立春から数えて88日目に摘まれたお茶を飲むと、その一年は無病息災で過ごすことが出来ると伝えられており、さらに、品質的にも一番味が乗っていて美味しいのが、この時期のお茶なのだそうだ。

 しかしながら、ペットボトルのお茶が蔓延している現状にあって、急須で茶葉を煎じてお茶を飲む人は少なくなっているのだという。当然である。人はあっさりと手軽さに負けるのだ。かく言う私もそうであり、重い湯飲みで熱い茶をすする機会といえば回転寿司に備え付けの、あの、最初から出涸らしみたいな茶ぐらいである。

 実家が茶園を営んでいる静岡県出身の友人も、そんなお茶離れに憂いを抱いている一人であった。彼が語るところによると、煎じて飲む以外で茶葉の需要を高める方法は、料理しかないのだそうである。つまり、お茶料理というわけだ。

 「お茶料理」を検索エンジンにかけると、7万件弱の結果がヒットした。思いのほかメジャーである。最初にヒットしたのは、「お茶料理研究会」というそのままズバリなWEBサイトであった。そのなかの、「お茶料理コンテスト」のコーナーを見ると、「緑茶豆乳チーズ」というレシピが写真とともに掲載されている。これは女性にウケが良さそうである。

 2番目にヒットしたのが、「お茶を使った料理 」という、埼玉県ホームページの茶業特産研究所内にあるコンテンツであり、以下に挙げる7つのレシピが掲載されている。

・茶がらジャコの佃煮
・緑茶・牛乳の二層ゼリー
・茶飯(4人分)
・緑茶泡ゼリー(4人分)
・お茶せんべい(10枚分)
・茶新芽香り炒め
・お茶おやき(5~6個分)

 お茶業界が躍起になって、あの手この手で考えたレシピを読んでいると、ほほお、いいじゃんいいじゃんなんかうまそうじゃん、と思う。作ってみたくなる。だけどどうだろう、インターネットでの検索結果が7万件弱である割には、その認知度は、あまりにも低くはないだろうか?

 要するに私が言いたいのは、急須でお茶を出さないような人が、手の込んだお茶料理を作るのだろうか? ということだ。作らない。これが結論。認知度が低いのはそのせいだ。茶葉の需要を高めるには、もっと手軽なお茶料理でなければならないことは明白である。なにかいいレシピはないものだろうか。と私は、友人の話を聞いてからずっと頭を巡らせていた。

 そしてやっと、消費者の視点に立ったレシピを考え出すことが出来た。「お茶のお吸い物」である。鍋に湯を沸かして茶葉を投じ、火を止め、色が出たら布巾で濾して、椀に注ぐ。

 たったこれだけである。これならば、毎日のお味噌汁代わりにもなるだろう。これで、茶葉の需要は格段に向上するはずだ。さっそく友人にも電話してやらねば。

 
お茶料理研究会
http://www.ocha.gr.jp/hp3.html
お茶を使った料理(埼玉県HPより)

言いたかったセリフ


 
 「キミが噂の転校生?」

 このセリフを言うことが出来るのは高校生までです。

 社会人になってからも言えなかったことを悔やみ、仕事の傍らに転校生情報を収集、ゆるぎない情報を入手するや小学校に乗り込んで、用務員室前の壁に寄り掛かって腕を組み、転校生を待ち伏せしているところを縄付きになるような人間がこの世にはびこってはいけない。小中高のみんな。言えるときに言っておくといいと思う。

 かくいう私も拭えない後悔の念を残していて、日々その感情を強く抑えています。感情はエネルギーですから、どこかへ発散させなければなりません。私の場合は、今みなさんが読んでいるような妄想文書をしたためることに費やしているおかげで、身柄拘束されずにいるのです。そういうことです。