七三日記(0430)


 
■運転中、狭い道で道を譲った時など、感謝の意として運転手同士が片手を挙げて挨拶することがある。その瞬間が好きだ。なんでか知らないが好きだ。猛スピードでかっ飛ばす車、無理な割り込み、執拗な煽り、狭い道での路上駐車など、路上は悪意に満ちあふれている。ストレスメーターはレッドゾーンを振り切って、キンコンキンコン警告音が鳴り響く。そんな路上において、運転手の良心を垣間見ることができる唯一の行為が、この挨拶なのだ。見つけたことはないけれど、劣悪な環境下で健気に咲くタンポポを見つけた時のような気分だ。そしてその気分は、自分以外の運転手はみんな卑劣で、悪代官ヅラで運転している。という、私の幻想をいくらか氷解させてくれる。

■だけど、手を挙げてくれない人もいる。余裕がないのかもしれないが挙げてほしい。挙げてくれたら嬉しいから、ただそれだけ。遠慮がちに挙げる人もいる。胸元で小さくパーを作っているのだ。いやいやいや。そんな皇室みたいな挨拶じゃなくって、「こん平でーす!!」くらい高々と元気よく挙げて欲しい。天井にぶつけて手首を捻挫したっていいじゃないですか。だいじょうぶだいじょうぶ。なんなら、正座して運転して欲しい。「アクセルもブレーキも踏めないじゃない」なんて正論の意見は粋じゃない。だいじょうぶ、だいじょうぶだいじょうぶ。単にその姿を見てみたいから、ただそれだけ。

■もひとつ、路上には死もあふれている。といっても人間ではなく、動物のことである。都会での運転経験がないので分からないが、田舎においては少なくとも週に一度は何らかの死骸に出くわす。圧倒的に犬や猫が多いが、見慣れない亡骸を見かける事もあり、聞けばタヌキやイタチだと言う。田舎ならではのバリエーションである。

■などと呑気に語っているけれど、実際に出くわすのはすごく苦手なのです。助手席ならば目をつむれば済むけど、運転手はそうはいかない。出来るだけそっぽを向いて視界に入らぬように視線を背けるものの、ハンドルを握ってアクセルを踏み、前に進んでいる都合上、完全に視界から外すことは難しく、「うひいぃあああ」と情けなく泣きながら通り過ぎることになる。ぐにゃりと横たわる姿が痛ましくて見てられないのだ。カラスがつついていたりもする。人間にしろ動物にしろ、魂の抜け落ちた肉塊を見るのは出来るだけ遠慮したい。したいが、しかしその一方で、どんな具合か気になる自分もいる。怖いもの見たさ、か。

■少し前に、沖縄料理の店で飲んだ。海ぶどうを食べた。沖縄料理の店に行った際には必ず注文するのだが、判で押したように毎回必ず品切れだった。で、今回初めて食べることが出来たのだが、うまい。酢醤油につけてもうまいが、ほどよい塩気があるのでそのまま食べてもうまい。味自体はそれほどないが、ぷちぷちした食感が癖になる。遅れて到着した友人に「うまいから食いなよ」と勧める。不審そうな表情をしつつ口に運んだが、「・・・まあまあ、かな」と反応はいまいちだった。しかし、その友人の記憶力もいまいちだった。「へえー、これが水ぶどうなんだ」って、「水じゃねえよ、海、海。そんな、水ぼうそうみたいな言い方やめてくれる?」

■言葉はもろい。食感の素晴らしい食べ物も、瞬時に湿疹レベルへと引きずり降ろされてしまう。オシャレなデザインで大人気の雑貨ブランド「フランフラン」だって、濁点を付せば「ブランブラン」で、タヌキの股間と同じ土俵に立たされてしまう。だたの小さな点々ではあるが、その爆発力たるや核兵器やケツバットと肩を並べる勢いである。言葉は、もろい。そして、その「もろさ」のパワーについて私たちはもっと知らなければならない。(神妙で固い感じの締めは、この記事のもろさを補強するベニヤ板みたいなものです)


 

新幹線は欲望を乗せて


 
 東京に向かう新幹線の車中、何かが臭う。座席を倒して寝ていると、時折つんつん鼻先を刺激してくるのだ。強烈に、という訳ではない。例えてみるならば、耳元でぷーんと蚊の声がするのでガバッと起きて電気を点けても蚊はいない。寝入りばなに再び蚊の声、飛び起きて電気を点ける。やっぱりどこにも蚊はいない。臭いの周期は、夏の夜に繰り返される不毛な寝起きに似ていた。


 ふと見ると、隣のサラリーマンが胡座をかいている。革靴から解き放たれ、露わになった黒いシースルー靴下の湿り気は、乾いた車内の空気にみるみる溶けて、私の鼻先にも届いたのだ。「我が家じゃないんだから」と、靴を脱ぐ行為に対して非難の横目をくれたが、よく見れば私もスニーカーを脱いでいた。……まさか。
 トイレに行って靴を脱ぎ、立ったままの姿勢で我が足を鼻先に寄せて検査する。バレリーナにでもなったみたいだった。大丈夫、臭ってない。発臭源はやっぱり奴だ。ついでに用を足してから席へ戻ると、サラリーマンは弁当をガツガツしていた。窓際にはペットボトルのお茶。スポニチを細くたたんで野球欄に食い入っている。彼の「我が家感覚」が、短時間で鋭く研ぎ澄まされていることに私は驚いた。
 私は、新幹線の中で弁当を食べるのが苦手だ。隣に知人がいるなら安心して食べられるが、一人では不安なのだ。混雑した新幹線の車内、ぐるりと席を見渡せば他人ばかり。つまりアウェイである。そんな中で弁当を食うのが、ひどく心細くてたまらないのだ。


 食欲、性欲、睡眠欲。
 本来、欲を満たしている状態というのは、とても無防備であり、恥じらいを覚えるものである。だから人間は、道端ではウンコもセックスもしないし、寝たりもしない。それが人間特有の美徳である「慎み」というものだ。と松尾スズキがエッセイで書いていたのを読んで大きく頷いた。アウェイの心細さに震えながら、弁当の匂いで近隣乗客の空腹に火をともさぬよう、隠れるように弁当をかき込み、口いっぱいに頬張っているときに通行人と目が合い、その恥ずかしさに目を伏せる私は、決して特別な存在ではなかったのだ。


 私は危惧している。
 先月、新幹線が全面禁煙化となった。非喫煙者にはあまり関係のない話。と思うのは間違いである。増大する喫煙者の不満をいかにして抑えるか、という問題が大きく立ちはだかっているのだ。つまり、禁煙化のトレードオフとして、吸えないイライラをなだめすかす為に、喫煙者の食欲を満足させなくてはならなくなった。え?それはJRが解決する問題であって、それこそ非喫煙者には関係のない話じゃないか。と思うかもしれないが、それも間違いである。 例えば、こんな具合に。


 新幹線に乗って寝ているあなたの鼻先に、香ばしい匂いが届いて目が覚める。見ると、左隣の客がぺヤングをすすっている。ぷいと鼻先を逃がせば、右隣の客は鍋焼きうどんをはふはふしている。前の席からジュワー!と聞こえ、背もたれの上から覗いてみれば、鉄板の上でステーキが肉汁をほとばしらせている。


 無法地帯である。
 食べ物の匂いと体臭がスクランブル交差し、臭いの無法地帯となる新幹線。メニューの幅を広げすぎてダメになった喫茶店のような、そんな車内で旅を満喫できるのだろうか。飲食車両を設けるべきではないのか? せめて火傷のリスクが高い鍋焼きうどんは撤廃できないか? などといった本末転倒な事態に陥ってしまうのではないかと、私は危惧しているのだ。


 食のサービス向上に伴う「我が家感覚」の拡大防止と、横行するグルメ番組で失われた、食欲に対する「慎み」をどうやって取り戻すかが、これからの新幹線車内を大きく左右すると言っても過言ではないのだ。


 いや、過言かもしれないのだ。



 

孫よ


 
 僕は荷物の配達夫で、荷物を届けに来ただけだった。
 玄関のチャイムを押すと、庭の方から声が聞こえた。回ってみると縁側の奥の障子戸から、半分だけ顔を出しているおばあさんがいた。
「あの、これ、荷物です」
精密機器と書かれた荷物を渡し、受領印をお願いした。
「ハンコね、はいはいはい」
2~3分は待っただろうか。印鑑を取りに行ったはずのおばあさんの手には小さなお盆が携えられており、その上にはふたつの湯飲みが細かく震えながら立っていた。
「あの、すみません、印鑑をぉ」
そう言うとおばあさんは、
「あらやだ、恥ずかしいこと」
と、お盆を縁側に置き、恥ずかしげもなくケタケタ笑って、再び障子戸の奥にゆっくりと消えた。
 かすれた朱肉ではあったが、辛うじて印鑑を押してもらうことが出来た。通常ならば、お礼を言って立ち去るところである。しかしながら、「飲んで行きなさい飲んで行きなさい」と何度も勧められたため、一緒に縁側でお茶を飲むはめになった。スパっと断れないのはやはり欠点なのだろうか。
 湯気の立つ湯飲みから一口すすって驚いた。うまい。思わず聞いた。
「これ、なんてお茶ですか?」
「ほおじちゃっ」
おばあさんは何故か、力むようにして答えた。
 ほうじ茶なら飲んだことがある。しかし、こんなにも美味しいと感じた記憶はない。ひと息に飲むにはまだ熱かったが、冷まし息を強く吹かせながらぐっと飲む。心地良い喉ごしとともに、香ばしさが鼻を抜ける。
 はー。ふっと肩の力が抜けた。


 この仕事を始めてからは、食事を味わって食べたことがない。ほとんど噛まずに丸飲みだ。数少ない情報源であるスピリッツだってSAP!だって相当な斜め読みで、内容の理解度は甚だ怪しい。リポDだって、缶コーヒーだっていつも一気飲みだし、メールへの返信は10文字以内と決めている。
 すべては時間を作るためで、そうして出来上がった時間は、荷物を運ぶ為に余すところなく充てられている。この職業に就く人間はたいてい、知らず知らずのうちに自分の小さな時間たちを会社へ献上しているのだ。


 春で満たされた日だまりの縁側。
 ぽたぽた焼きのイラストみたいなおばあさんと並んでお茶をすするこの時間。なんて贅沢なのだろうと思う。このまま昼寝でもしたいほどに気持ちがよい。


「ウチの孫はねえ、800馬力なのよ」
おばあさんが唐突にそう言った。脳天にスイカが落ちてきた。ような気がした。ぽかぽかとした光のなかで恍惚としていた僕の脳天にだ。
「え? 何がですか?」
きっと僕が聞き間違えたんだろうと思ったのだ。よしんば、正しく聞きとっていたとしても聞き直したくなる発言だ。
「孫よ」
「お孫さんが、なにか?」
「3つなのよ」
「ええ、その3つのお孫さんが、なんか、バリキがどうのって……」
「800馬力なの」
「なるほど」
聞き間違いではなかった。しかし、聞き間違いでなかったが故に、僕は言葉に詰まってしまった。


 悪い癖なのだ。よく分からない事や、言葉がよく聞こえなかったときに、「なるほど」とか「へえー」とか「ふうーん」などといった安易な受け答えをしてしまい、話がずれていく。どうしてなのか、聞き返す事が恥ずかしくなってしまうのだ。でも、今回の場合はちょっと違う。どんなふうに聞いていいのか分からない。
「何がどうして馬力はどこから?」
どうしても禅問答みたいな質問しか浮かんでこない。


 すぐに思いついたのは、怪力の3歳児だった。おもちゃ売り場で駄々をこねれば梃子でも動かず売り場の床を破壊する、癇癪起こして電話帳を引き裂くし、スタックした車をロープと前歯で引き上げる、寝起きの不機嫌で投げたフォークが壁を突き刺して、デコピンで額の骨が陥没し、肩を揉ませれば肉離れ、「アンパーンチ!」で鼻の骨が折れる。
 無邪気さとは裏腹なバイオレンス孫。800馬力がどれほどのパワーを持つのか見当がつかないが、きっと肉離れや骨折では済まないだろう。上手い事を言うつもりはないが、そんな孫を相手にするのは、それこそ骨が折れるはずだ。


「じきに保育園から帰ってくるの」
「お孫さんがですか?」
「かわいいのよおおお」
そう言って相好を崩したおばあさんの湯飲みが、右手の中で砕け散った。
「ひっ」
「あらやだ恥ずかしい」
おばあさんが、雑巾を取りに障子の奥へ消えたのを見計らって、僕は逃げた。一言、お茶のお礼を。と薄く思ったが、その間に800馬力の孫が帰ってきて、「遊ぼうよ!」なんてことになったら、僕はどうなるか分からない。


 次の配達先へ向かう間、あのおばあさんは何馬力だったのか、気になって仕方がなかった。それだけは聞いておけばよかったなあ、と少し後悔した。

『半』のボーダーライン


 
 手際の悪い運転手だった。
 荷物を載せたいのだと伝え、トランク前で待っていたが一向に開かない。どうしたのだろうと運転手を見ると、慌ててボンネットを閉めている。新人のリストラ転職ドライバーなのだろう。丸く分厚いメガネを掛けたその男性は、オロナミンCの看板で微笑む大村崑によく似ていた。親近感を覚える顔ではあるが、あたふたと動きだけは忙しそうな仕事ぶりには閉口した。「頼むよ、崑ちゃん」という台詞が舌先で待機する。やっとのことで荷物を積み終えた。


 崑が車に乗り込み運転席のドアを閉める。バフンと音がした。
 崑は再びドアを開け、そして閉めた。バン!と鋭い音がする。
 半ドアだったのである。説明するまでもないが、閉まりきっていないドアのことだ。


 何気ない光景だが、これって実はすごい事なのではないか。ドアを閉めた際の音、もしくは力加減で、「半」であると判断したのである。車には、ルームランプを点灯させ、半ドアであることをアピールする機能があるが、崑はそれを使わずに半を悟ったのである。私は、崑に聞いてみた。


「今の半ドア、どうして分かったんですか?」
「どうして、って言われ……んー音ですかね」
「それじゃ、音で半が分かったんですね?」
「半? あ、ええ、まあそうですね」


「恵比寿までお願いします」
 車が走り出す。私は考えていた。動物は「半」を判断できるのだろうか。
例えば、通常より半分の量のエサを犬にあげたとする。犬はしっぽを振りながらエサをぺろりと平らげ、口の周りをぺろぺろ舐めながら「めちゃウマいやん、このエサ」などと考えるだろう。
 しかし気が付かないのだ。「半」であることになど、まるで気が付かないのだ。気付くのは夜中を迎えた頃で、それも、「なんや知らん、ぐうー、腹鳴っとんねん」などと、ぼんやり考えるだけだ。


 つまり、「半」を判断出来るのは、人間だけなのである。であるが、生まれつきその能力を備えている訳ではなく、経験を重ねることにより能力が身に付き、そして、重ねた経験に比例しその精度が増してゆく。


 しかしながら、世の中には様々な「半」が存在する。その全てに「半」のジャッジメントを下すことは可能なのだろうか、と考えてみる。半半半半半、半生(なま)。バックミラー越しに人生経験が長いであろう、崑に聞いてみる。


「半生はどこで分かりますか?」
「焼き具合、ですかね」
「具体的に言いますと?」
「噛み切ったレバーが、妙にジューシーだった時ですかね」


 なるほど。確かに、その断面を確認すると血がしたたっている事がある。半生は歯応えと肉汁で判断するのだそうだ。


「ステーキはミディアムレアが好きですけどね」
「へーそうですか」


 好みの焼き加減はいま関係ない。半半半半、半ズボン。崑に聞く。


「どうやって半ズボンを見分けますか?」
「膝より短いやつ、なのかなあ」
「なるほど、長さが半分になったズボンを言うんですね?」
「ええ、まあ、そうです」
「じゃあ、右が股下ゼロで、左が足首まであるのも半ズボンですか?」
「え、それは……」
「これも、長さで言えば半分ですよね」
「あ、ええと」


 この後、半ズボン、短パン、ホットパンツの違いを聞いてみたが、崑は泣きそうな顔で困り果てている。


「運転手さん、顔が半泣きですよ」
「こんなに半ズボンのことを考えたのは初めてです」


 顔つきが湿ってきたので、この質問は飛ばそう。半半半半、半殺し。聞く、


「どこまで痛めつけたら半殺しですか?」
「穏やかでない質問ですねえ」
「半殺しにしたことはありますか?」
「ないです、ないです」
「じゃあ分からないですよね」
「ええ。でも、半殺しにしたい奴はいますけど」
「じゃあ、その人をどこまで痛めつけたいですか?」
「裸にして、アロンアルファでコマネチのポーズに固定します」
「それは精神的な半殺しですね」


 理解不能だし、なんだか怖い。崑の深部を知るのが怖い。深追いせずに質問を変えた。半半半半半、半裸。ツ黴€


「どこからが半裸になりますか?」
「難しいですねえ」
「じゃあ、今から少しずつTシャツ脱ぎますから、半裸の時点でストップって言って下さい。行きますよ」
「え? あ、はい」
「どうですか?」
「まだの気がします」
「このへんですか?」
「そうですねえ、まだ……」
「そろそろかな?」
「ストップ!」


 乳首を越えたら半裸。なるほど分かりやすい。膝を打つジャッジメントである。崑の人生経験も伊達ではない。感心していると、崑が言った。


「お客さん、面白い方ですねえ。私も勉強になりました」
「じゃあ、メーター半額にして下さい」
「それは出来ません」
「そこをなんとか」
「半殺しにしますよ」
「コマネチ!」


 崑の脂ぎったメガネが、バックミラー越しに鈍くキラリと光った。ツ黴€