新茶をしましょ。


 

 新茶の季節である。
 「八十八夜」と呼ばれる、立春から数えて88日目に摘まれたお茶を飲むと、その一年は無病息災で過ごすことが出来ると伝えられており、さらに、品質的にも一番味が乗っていて美味しいのが、この時期のお茶なのだそうだ。

 しかしながら、ペットボトルのお茶が蔓延している現状にあって、急須で茶葉を煎じてお茶を飲む人は少なくなっているのだという。当然である。人はあっさりと手軽さに負けるのだ。かく言う私もそうであり、重い湯飲みで熱い茶をすする機会といえば回転寿司に備え付けの、あの、最初から出涸らしみたいな茶ぐらいである。

 実家が茶園を営んでいる静岡県出身の友人も、そんなお茶離れに憂いを抱いている一人であった。彼が語るところによると、煎じて飲む以外で茶葉の需要を高める方法は、料理しかないのだそうである。つまり、お茶料理というわけだ。

 「お茶料理」を検索エンジンにかけると、7万件弱の結果がヒットした。思いのほかメジャーである。最初にヒットしたのは、「お茶料理研究会」というそのままズバリなWEBサイトであった。そのなかの、「お茶料理コンテスト」のコーナーを見ると、「緑茶豆乳チーズ」というレシピが写真とともに掲載されている。これは女性にウケが良さそうである。

 2番目にヒットしたのが、「お茶を使った料理 」という、埼玉県ホームページの茶業特産研究所内にあるコンテンツであり、以下に挙げる7つのレシピが掲載されている。

・茶がらジャコの佃煮
・緑茶・牛乳の二層ゼリー
・茶飯(4人分)
・緑茶泡ゼリー(4人分)
・お茶せんべい(10枚分)
・茶新芽香り炒め
・お茶おやき(5~6個分)

 お茶業界が躍起になって、あの手この手で考えたレシピを読んでいると、ほほお、いいじゃんいいじゃんなんかうまそうじゃん、と思う。作ってみたくなる。だけどどうだろう、インターネットでの検索結果が7万件弱である割には、その認知度は、あまりにも低くはないだろうか?

 要するに私が言いたいのは、急須でお茶を出さないような人が、手の込んだお茶料理を作るのだろうか? ということだ。作らない。これが結論。認知度が低いのはそのせいだ。茶葉の需要を高めるには、もっと手軽なお茶料理でなければならないことは明白である。なにかいいレシピはないものだろうか。と私は、友人の話を聞いてからずっと頭を巡らせていた。

 そしてやっと、消費者の視点に立ったレシピを考え出すことが出来た。「お茶のお吸い物」である。鍋に湯を沸かして茶葉を投じ、火を止め、色が出たら布巾で濾して、椀に注ぐ。

 たったこれだけである。これならば、毎日のお味噌汁代わりにもなるだろう。これで、茶葉の需要は格段に向上するはずだ。さっそく友人にも電話してやらねば。

 
お茶料理研究会
http://www.ocha.gr.jp/hp3.html
お茶を使った料理(埼玉県HPより)

ドコモ2.0は0.9


 
 参考URL http://docomo2.jp/

 ドコモの新しいCMをテレビで見た。出演者は、浅野忠信、長瀬智也、妻夫木聡、瑛太、吹石一恵、土屋アンナ、蒼井優、北川景子。
 彼ら彼女らはテーブルを中心として一堂に会し、わーっと騒いだ後、「恒例のメール交換!」をする。

 見終えた私たちを襲う劣等感。
 それはもちろん、出演者の豪華さに対してであって、その豪華さは、ポケモン、バベルに続く失神騒動が起きても何ら不思議ではないほどに私たちの目をチカチカさせる。ホント眩しくってたまらない。

 そんな「通常ではあり得ないメンバー」が集うCMを見て、劣等感はまだしも、「大人げねえなあ」と呟いた人は少なくないはずだ。その大人げなさは、金に物を言わせて強力選手を取り揃えるジャイアンツのそれに等しく、「我々が本気を出せば、こんなもんだよ」と腕組みして鼻を鳴らしているドコモ首脳陣の姿が目に見えるようである。

 さて、このCMのコンセプトであるが、冒頭のURLへ飛べば分かるとおり、「DoCoMo2.0」である。これは「WEB2.0」に倣ったものであることは言うまでもないが、では、WEB2.0とはなんぞや? という話を始めると脱線しすぎるので説明はしない。大雑把に言えば、「これまでとは違った思想で作られたWEBサイト」のことである。要するに、今までとは違うぜ! という宣言のことだ。

 そんなロジックを、そっくり当てはめているのであろう「DoCoMo2.0」は、つまり、「今までとは違うドコモ」であることをアピールしている。そして、「ティザー篇」と称されたCM冒頭のコピー、「さて、そろそろ反撃してもいいですか?」には、ナンバーポータビリティー制によってauから奪われた顧客を、このCMによって取り戻すのだという、挑戦的な意味合いが込められている。と私は読み取る。

 果たしてドコモは、このCMで他キャリアから顧客を取り戻すことが出来るのであろうか?

 出演者に話を戻せば、「豪華すぎて絶対に手の届かない人たち」に対して私たちが感じるのは、「憧れ」ではなく「諦め」なのである。そんな、劣等感や諦めといったネガティブな気持ちを抱えてドコモショップへ走るほど、私たちは強くないし、馬鹿でもない。私たち消費者がCMに求めるのは、手が届きそうで届かないけど、でも頑張ればなんとかなりそうな、「部活の先輩」感なのではないか。そう思ってるのは私だけか。

 果たしてドコモは、このCMで他キャリアから顧客を取り戻そうと本気で考えているのだろうか?

 ちなみに、このCMは一年間のシリーズものであるという。ここまで私が散々こき下ろしたような批判すべてを考慮に入れてのプロジェクトなのだろうか。それならそれで文句はない。しかしながら、現段階で見ることが出来るCMは、オシャレな人たちがオシャレなことをしているオシャレな映像でしかない。それの何が悪いのかといえば、なんの工夫もないことだ。あれだけ豪華な出演者だったら、素人がホームビデオで撮影しても成立する。と言ったら言い過ぎか。どこが2.0なのか。このCMは、旧態依然とした金銭主導の力業ではないのか。むしろ、後退していると言ってもいい。0.9だ。

 とまあ、いろいろ悪態をついてしまったが、一年間様子を見るとしよう。「ティザー篇」末尾のコピーは「どんな技を使うかは、ヒミツ。」なのである。なんだか楽しみだ。

 ただ、しつこいようだが、あの豪華な出演者である。全員、コース料理のメインディッシュである彼らをどう料理するのか見物である。チンジャオロースで酢豚をかき込むような無謀な食い合わせだけはやめてもらいたい。胸焼けしてしまうから。フリスク食べ食べ見なきゃならならない。そしたらフリスク、バカ売れだ。そんで、フリスク株も急上昇。そうか! 私たちが走るのは、ドコモショップじゃないんだ、証券会社だ、さあ、走れ、サンダルのままで!

 ていうかなんだよ、フリスク株って。

 

七三日記(0519)


 
■今週は、晴れと雨が交互に訪れた一週間だった。
■土曜日は、降水確率60%だけあって降ったり止んだりした一日だった。ぽつぽつと来たのでワイパーを動かすが知らないうちに雨は止んでいて、びりっびりっぶりっびりっとワイパーが醜い音を立ててターンする。ゴムがだめになっているのだ。交換しなければと思うが、今度、今度と思いつつ忘れてしまう。
■ワイパーを停止し、ものの5分も経たないうちにまた雨が降り出す。ワイパーがぶりぶりを奏で始めたら停止する。と思ったら、本降りになる。と思いきや、あっさりと止み、ぶりぶりサインを受けワイパーを止める。その日は、ワイパーオン・オフの動作をそれこそ何十回も繰り返したのだった。
■ギアチェンジに加え、頻繁なワイパー操作を強いられたため非常に気ぜわしい運転となったのは言うまでもない。降るならじゃんじゃん降ってほしかった。まったく、はっきりしねえ野郎だ! と空へ毒づいたが、その台詞はフロントガラスで跳ね返り私の胸に突き刺さった。それはまさに自分自身のことであった。いたたたた。自爆。

■今年60歳になったばかりのKさんと話をしていたときのこと。
■どういう話の流れか記憶にないが、「俺、つでー持ってたんだ」とKさんが言った。「は?」と答えるとKさんは再び、「つでー」と言う。「つ、つでー?」と問い直す。「つでーだよ、つでー」「つでーですか?」「そう、つでー」「えーと、つでー、つでー、ええー?」「ほら、ホンダのつでー!」
■『ホンダToday』のことだった。まさか車のことだとは思わず何度も聞き直したが、Kさんも、自分の言っていることがよもや通じないとは考えもしなかったらしく、私たちは不毛な「つでー」合戦を繰り返していた。
■ある年齢以上の人には「トゥ」の概念がないのだろうか。えーと、名前が出てこないのだが、「ツナイ、ツナーイ!」というサビの歌があったはずだ。「今夜こそ、お前を、落としてみせーるっ」と続くやつだった。なんだっけ。

■もうひとつ、Kさんとの記憶ではこんな話もある。
■道端でKさんが「セーフ!」と声を張り上げた。出し抜けの発言に「え? え?」と戸惑っていると、地面を指差して「セーフ! セーフ!」と続ける。や、野球? と思ったが、直前までそんな話はしていなかったはずだ。ふと、Kさんが指し示す先を見ると何かが落ちていた。
■財布だった。どうやら、「せえふ」と言っていたらしい。Kさんは生粋の東北人である。私も同じく東北人であるが、東北弁で「財布」のことを「せえふ」と呼ぶなんて聞いたことがない。どう考えても落語の中か、ちゃきちゃきの江戸っ子が使うべき言葉だ。ちなみに、財布はからっぽであった。
■ついでに言うと、私の財布の厚みの60%はレシートと会員証の類である。もうすぐ梅雨が始まる。

しあわせな夜食


 
 冷や飯を小ぶりの茶碗によそい、醤油をすっとひと垂らし、七味をささっと振って、碗肌から沸かしたての湯を一気に注ぐ。

 アルコールに蹂躙された胃腸を手当てするのが待ちきれないかのように、茶碗全体から真っ白な湯気が舞い上がり、まるで急かすように自らの存在をアピールしてくる。

 まずは黄金色のスープを、立ち上る湯気をかき分けながら、ずずっと一口啜る。次に、箸の先でご飯を軽くほぐす。ほぐしすぎないのがコツだ。七味がスープの水面で大きく旋回し始めたら準備はOK。

 できるだけお行儀悪く茶碗に口をつけ、箸を構え、スープとご飯と七味をバランスよく口の中へ流し入れる。その三位一体が喉元を過ぎたら、その先は何も考えなくていい。頭を真っ白にして、短期決戦で思うがままかき込むのだ。

 空になった茶碗から、くすぶる戦火のように小さな湯気がひらひらと舞い上がる。戦いは、すべて終わったのだ。両手を後ろに突き、天井を見上げて大きく息を吐く。

 ふうー、まずかった。

 味、もの凄くうすい。醤油ひと垂らしではまるで足りない。なんの出汁もない。脳内レシピでは絶品だったのだが。面倒くさいからといって、いささか手を抜きすぎたと反省した。

 

昼下がり、僕らのダンス


 
 いま、僕は、ベロを出しながら歩いている。
 正確に言えば、ベロを出しながら気をつけの姿勢を保ちつつ、爪先で前のめりにちょこちょこと歩いている。のどかな、平日の昼さがり。

 取り返しのつかないことがしたくなったのだ。
 ここは地元の複合型ショッピングセンター。知り合いに出くわす可能性は十分にある。その際、ベロ出し気をつけちょこちょこ歩きのことを、どんなふうに説明すればよいというのか。よしんば、知り合いに会わなかったとしても、主婦主催の井戸端会議で物議を醸すには、十二分の奇態であることは間違いない。変人のレッテルを貼られるのは目に見えている。そんなリスクとスリルとがチャンプルーして湧き上がった妙な高揚感が、僕のモチベーションを鼓舞してくれる。

 トイザらス前のベンチへ向かって、ちょこちょこと歩いてゆく。平日だけあって、人影はまばらだ。

 保育園の黄色い帽子を被った男の子が、ベンチに座って足をぶらぶらさせて、「なにしてんのー?」と声を掛けてきた。好奇心の眼差しがまとわりつく。僕は、答えの代わりにその場でちょこちょこ何度も往復してみせた。男の子は、僕の動きに触発されたらしく、見よう見まねでちょこちょこと、嬉しそうに行ったり来たりしている。

 男の子の傍らには、よちよち歩きの幼児が立っていて僕らの動きをじっと眺めている。弟だろうか。おむつで膨れ上がった尻をくっと落とし、土俵入りの力士みたいな格好で、不器用に手をぱちんとひとつ叩いて、「あはー!」と笑った。

 開けっぱなしの口からすうっと垂れたひどく透明な唾液が、午後の陽射しを乱反射させる。眩しい。

 すでに男の子は、ちょこちょこ歩きをやめ、独自路線を歩んでいた。無秩序な阿波踊りと呼びたいような、はちゃめちゃで出鱈目なダンスだった。「うひゃうひゃ」と奇声を発している。僕も負けずに激しくちょこちょこ歩いた。もちろん、ベロを出して気をつけの姿勢で。よちよち幼児も、小さな体と両手を上下させて、きゃっきゃきーきーとご機嫌な様子だ。

 もう、誰に出くわそうと構いやしない。勝手に井戸端会議で笑えばいい。僕はいま、底抜けに楽しいのだ。

 ちょこちょこ、うひゃうひゃ、きゃっきゃきーきー。
 ちょこちょこ、うひゃうひゃ、きゃっきゃきーきー。

 それはちょうど30回目のターンだった。向かい側の100円ショップから出てきた女性が僕たちを認めて一瞬、立ち止まった。と同時に、いくつもの買い物袋をわさわさと荒々しく揺らしながら猛スピードで走ってくるのが、視界の端に見えた。

 僕は向きを変え、裏口の駐車場へちょこちょこと走った。建物の陰から彼らを振り返ると、母親と手をつないで歩いている後姿が見えた。2人とも、興奮冷めやらぬといった感じで、せわしなく動きながら歩いている。しばらくすると、「ちゃんと歩きなさい!」とでも叱られたのか、黄色い帽子は今ではもう、その揺れを止めている。

 彼らは、家に着く頃には僕のことも、楽しく踊りあったことも、すっかり忘れてしまうのだろう。彼らの記憶に僕は残らない。忘れてしまうということは、きっと、取り返しがつかないことなのだ。