検査室の鉄則


 転職するにあたって健康診断を受けました。いつも思うのですが、朝食抜きの尿我慢というお決まりの縛りはどうにかならないのでしょうか。ひもじさと膀胱の膨満感から生じるストレスが、診断結果に悪影響を及ぼしたりはしないのでしょうか?

 ぐぐーと腹を鳴らしながらじょぼじょぼと紙コップへ尿を満たしつつ放尿の至福に浸る。という状態を、「オレはなんて節操のない人間なんだ」と気に病むことが診断結果に響かない訳がないじゃないですか。身体ともに健やかなる状態を健康と呼ぶんですよね? いまオレは傷ついている。心を痛めている。だったら、だったらオレは、もはや健康でもなんでもない!

 とまあ、こんなことを考えながらパチンコの景品交換所みたいなスペースに尿コップを置こうとすると、すでに先客のものが所狭しと並んでいて、接触事故は一触即発という緊迫した状況。

 あまりにもずさん。まったくもって尿管理がなってない。こういった状況を見ると「尿の取り違え」に対する疑念がむくむくと湧いてきます。糖尿の気があるのに「異常なし」とされてしまう可能性について「過ぎた妄想である」と誰が断言出来るのでしょうか。第三者機関による抜き打ち検査の必要性をひしひしと感じます。

 もっと恐ろしい話をしましょう。
 プラスチック製のつるつるしたトレーに載せて運ばれ、狭苦しい尿検査室の、所定のテーブルへと置かれる大量の尿カップ。もしこの場面に、長い棒のような医療器具を手にした職員が現れ、誰かに呼び止められたとしたら。振り返ると同時に弧を描く長い棒のような医療器具。そして、なぎ払われる大量の尿カップ。尿、全滅。

 推測ですが、全国の病院の尿検査室には「長い棒のような器具持ち込み禁止」という注意書きが貼られているはずです。この鉄則は医療関係者の間では常識でも、我々一般人にとっては想像もつかないルールなので、クイズにもってこいだと思います。「全国の病院の尿検査室に貼られている注意書きは何?」芸能人雑学王とかで出題してくれないですかね。きっと、伊集院光やラサール石井をもってしても正解出来ないはずです。でもなんとなくですけど、なぎら健壱なら正解出来る気がします。

ふしぶしの悩みに


新聞を広げた途端に、強烈な広告が飛び込んできました。

サメ軟骨

どうですか? このインパクト。
愛用者である東京都・山本さんのグラビア広告。
そう言ったとしても過言ではありません。

しかし、個人的に気になるのは右端のコピー。

おかげさまで!!
料理教室の先生も
プロデューサーもラクラク

どう解釈すればよいのでしょうか? 補足の説明がどこにも見当たりませんでしたので、稚拙ながらも推測をしてみました。

(1)サメ軟骨を服用した料理教室の先生やプロデューサーが「ラクラク!!」という使用感を述べている。

(2)サメ軟骨を服用することにより、料理教室の先生やプロデューサー業をラクラクこなすことが可能である。

まあ、どちらにしても職種を絞りすぎです。

ちょっとしたアレ


 どうしてもサンダルが必要になったので、オシャレでキッチュでニューカマーなアイテムをゲットできて、且つサブカル気分に浸れることで有名なヴィレッジヴァンガードへ買いに出かけた。相変わらず「もうどうにでもして~」な店内の混沌さに否が応でも胸が高鳴る。程なくオシャレサンダルを発見したものの、残念ながらXSしか在庫がないとのこと。足の大きくない私と言えど、いくらなんでも小さすぎるということで渋々諦めた。

 キョロキョロと店内を7周くらい見て回ってから店を出ると、2階にスポーツ用品店を発見。もしかしたらスポーツシューズとかの並びに「ノリ」で置いてあるかも。というなんとも心細い推測で入店してみると店内がやたらと広い。「だだっ広い」という表現がしっくりくるほど横長にバカっ広い。ダメだ。一歩も動けない。迂闊に移動しては無駄足を踏むことになるだろう。やむなく店員を呼び止めて尋ねた。

「ちょっとしたサンダルありますか?」

 自分でもおかしな言い回しだとは思ったが、これは、「似合わなくて値の張る商品を押しつけられるのではないか」という店員に対する怯えにより、動揺してしまった故のセリフある。普段は、店員の接近を察知し事前回避するのが常であるため、今回のように慣れないことをするとこのような間違いが起きる。

 では、このセリフのどこがおかしいのか。
 それは「サンダル」というアイテム自体が、それだけですでに「ちょっとした」ものだからだ。ちなみに、ここで言う「ちょっとした」は「補助的な」や「おまけ的な」と同等の意味を有している。つまり「ちょっとしたサンダル」という言葉には、意味の重複現象が発生しているのだ。

 同様の組み合わせとしては、『ちょっとしたお通し』『ちょっとしたおしんこ』『ちょっとしたワンドリンク無料』など居酒屋系のものから、『ちょっとしたカロリーメイト』『ちょっとしたソイジョイ』『ちょっとしたスニッカーズ』など小腹を満たす役割を持つ食品が挙げられる。その他の分野については各自、ランチタイムをまるまる費やし考えてみてほしい。

 さて、「ちょっとしたサンダルありますか?」と尋ねられ、わずかに表情を曇らせた店員さんが案内してくれたのは、子供用サンダルコーナーであった。ヴィレッジヴァンガードのXSサイズといい、この店といい、私はアレか、中国雑技団か。雑技団の団員か。きっちきちのサイズを履いて細い棒の上を渡り歩いたり、誰かの肩の上でバランス取ったりとか、そういうイメージか。なんだよ。なんなんだよ。あ、あれ? もしかして私自身がそういう雰囲気を発してるとか? うそ、うそうそ、発してないよね、発しているわけないよね? ね、ねねね、お願いお願い、お願いだからジョークだって言ってよ、ねえ、ちょっとしたジョークだって言ってよ!

 おあとがよろしいようなよろしくないようなかんじで。

ヴィレッジヴァンガード
http://www.village-v.co.jp/index.php

とびだせ! 柔肌ポリス


「オユハリヲ、カイシシマス」曇りガラスの向こうから抑揚のない音声が聞こえる。全身を包むやわらかなお湯を想像すると、刺すような冷気が少し和いだ。柔肌ポリスは当直の夜になると、美津子さん宅を重点にパトロールを行った。入浴を終えるまで、不審者が近づかぬよう風呂場の外窓に立つ。それが彼流のやり方だった。

「今日はやけに長いな」柔肌ポリスは呟いた。風呂場でなにかあったのではないかと気が気ではなかったが、白く濁ったガラスの前では何ひとつ手がかりを得ることは出来なかった。「マジ、曇りガラスってすげえな」柔肌ポリスは、曇りガラスのプライバシー保護能力に大いに感服するのだった。

 いくら警察官とはいえ、風呂場の外窓に立てばたちまち不審者である。しかし彼は、特殊な能力でそれを回避した。日中に蓄えた光を夜間に発光する能力で、光る部位は顔面。リモコンのボタンや、蛍光灯のひもに利用されているものを想像していただきたい。ただひとつ違うのは、発光色が緑ではなく純白であること。おかげで、夜道に佇んでいても背の低い街灯としか認識されないため、怪しまれることは皆無であった。

 しかし20代前半のデリケートな時期は、この能力を疎ましく感じていた。ブレーカーが落ちるたびに起こされたり、耳かきのアシスト、夜間撮影の補助光などは日常茶飯事。キャンプの肝試し大会では先頭を歩かされ、ゴール地点にたどり着く頃には無数のクワガタや蛾が顔面に群がっていたり、テントで就寝していると「消せ」と言われ、発光をコントロール出来ない旨を告げるとあからさまな舌打ちを受けた。などというエピソードに関しては、枚挙にいとまがないのでこの辺にしておこう。

 だから、ディスコに行こうと誘われたとき、柔肌ポリスは困った。行きたいけど光っちゃう。散々思案した挙げ句、光を蓄積しないよう頭に毛布をかぶり、部屋の隅っこで日中を過ごした。そして作戦は成功した。光っていないのだ。意気揚々とアルコールを摂取し、ズンズンと響く重低音を腹部に感じつつ狂ったように踊った。しかしここでもまた、新たな能力を発揮することになる。

 顔面が、ブラックライトに反応していたのだ。暗闇のなか、ブラックライトの点滅に合わせ、彼の顔だけが真っ白に浮かんでは消えた。「バカ殿だ」「いや亡霊だ」「ちがう、バカ殿の生き霊だ」口々にささやき合う客たち。静まりかえるフロア。まさかそんな能力まで有していたとは。相当なショックを受けた。そして悲しかった。一刻も早く店を出たい。柔肌ポリスは脱兎のごとく駈け出した。しかしそのとき、ガタイのいい黒人が彼の肩を押さえ、親指を立ててウインクをしながら言った。「it’s cool!!!」

 「ウォー!!!」客たちの歓声によってフロアは異様な高揚感に包まれ、柔肌ポリスは一瞬にしてスターとなった。こういった空間では「目立つ」イコール「人気者」なのである。誰もが彼の周りで踊り、身をすり寄せ、飲みきれないほどのアルコールをごちそうになった。とても楽しかったし、気分が良かった。

 そして柔肌ポリスは、小柄で可愛らしい女の子といい感じになった。「ね、別のとこで飲まない?」思い切って言うと彼女は黙って頷いた。正直、柔肌ポリスは飲みに行くなんてどうでもよくて、とりあえず、彼女とキスがしたかった。それだけだった。店を出て外壁に手をつき、彼女の動きを封じると彼女は潤んだ瞳を静かに閉じた。「よし!」心でガッツポーズを決める。そして柔肌ポリスも目を閉じ、はち切れんばかりの鼓動と荒い鼻息を悟られないように顔を近づけたその刹那、彼女が叫んだ。

「やだ、まぶしい!」目を開けると彼女は、週刊誌に写真を撮られた芸能人みたいに手をかざしていた。そしてその光源は、他でもない柔肌ポリスの顔面であった。日中の対策は万全だったはずだし、ブラックライトは見当たらない。「ど、どうして!?」柔肌ポリスが呆然としている隙に、彼女はどこかへと消え去っていた。

 性的興奮による発光。
 その後しばらくしてから判明した新たな能力だった。「なぜこんなにも光る必要性がある?」悩んだ末に相談をしてみたが、優秀な溶接工である友人は「なんか、今の、名言っぽいね」としか言わなかった。柔肌ポリスは、なんだかこそばゆい気持ちになってその場では言葉を濁したものの、どう捉えてよいのか判断がつきかねたし、よくよく考えてみても全く意味が分からなかった。

 そんな昔話を思い起こしているうちに、風呂場の灯りは消えていた。「しまった! 美津子さんごめんなさい」柔肌ポリスは、パトロールを完全遂行出来なかったことに関して心から謝罪し、「明日こそは、明日こそはきちんとやりますから!」と夜空へ向けて意気込みを語った。

 そして柔肌ポリスは自転車にまたがってよろよろと走り出したが、ギッとブレーキを鳴らして急停車し、風呂場の窓を振り返って「ボクが、守りますから。ボクが、いつまでも、いつまでも照らし続けますから」と顔面を白く光らせながら小さな声で呟いた。

美津子37.5歳


 ラベンダーの入浴剤を湯船にダポン、と落とす。細かな泡が、ふくらはぎをくすぐるように撫で上げる。はああ。大きなため息が出た。ここ数日、ずっしりとした疲労が体内に横たわっていて動こうとしないのだ。はああ。今度は湯船へ顔を浸しながら、ため息をついてみる。ボコンボコンと大きな気泡が2つ、水面に弾けた。

 誰もが美津子の美貌を褒め称えた。黒木瞳に似ているともっぱらの評判だった。悪い気はしなかったが、目立つのは嫌いだった。この年になってもナンパは日常茶飯事だし、魚屋の主人は決まって貝類をおまけで握らせてくるし、果物屋の主人はむいたバナナを「美容にいいから」とその場で食べさせようとするし、犬の散歩をしていると白くて気味の悪い警官が遠くからじっとこちらを見ていたりする。こないだなんかは「おキレイな方のほうが、なにかと、ねえ?」よくわからない理由でPTA会長を押しつけられてしまった。それでも、マコトのため、愛する息子のためなのだと自分に言い聞かせ、引き受けることにした。

 入浴剤はコトコト音を立てながら膝の裏を撫で、脇の下を撫で、いつの間にか美津子の背後へと移動し、しばらくのあいだ背中を撫で続けた。しゃわわー。痩せ細った入浴剤が赤と青とに色素を分離させながら水面に浮上する。美津子はその毒々しい色彩を観察するために顔を近づけると、微細な泡沫に形を変えた香料が、鼻腔を強烈に刺激した。痛い。美津子は、ものすごく体に悪いものを吸い込んでしまった気がして、犬のように何度も鼻をフンッとやった。

 しゃわしゃわと最後の力を振り絞る入浴剤。自らの存在を消滅させるべく躍起になっているその姿は健気であり、いじらしくもあり、そして腹立たしくもあった。「しゃわしゃわしないで!」美津子は入浴剤をバシャンと水中へ押し込めた。

 静寂を取り戻した水面を眺めながら、はああ。3度目のため息をつく。そして、水面から顔を覗かせた膝頭を何気なく見つめていると、美津子は気づいてしまった。皮膚が、まったくと言っていいほど水を弾いていないことに。だらしなくへばりついたままの湯水。なによこれ。顔を背けるつもりで胸元に目を移したが、そこには、より面積の大きい不安材料が広がっているだけだった。

「オユハリヲ、カイシシマス」美津子は瞬時に操作パネルへと手を伸ばし、首から下が隠れるまで、いや、湯船から溢れ出してしまうまで、お湯を張り続けた。美津子は、ゆっくりと失われてゆくラベンダーのうす紫に気づくこともなく、上昇してゆく水位を、ただただ眺め続けていた。