包丁人味平


 はなから自慢するつもりは毛頭ないが、私は調理師免許を持っている。
 高校を卒業し上京。池袋の専門学校に1年通った。そのきっかけになったのが料理漫画。なんとも単細胞というか動機が曖昧というか貧困というか、両親に学費を捻出してもらってまで志すには一時的なノリ的要素が強かったと今では思う。しかし当時は本気も大本気で意気揚々と上京したものだ。

 そのきっかけ漫画というのは当時人気のあった、ミスター味っ子、美味しんぼ。しかし群雄割拠の料理漫画業界にあって私を熱狂の渦に巻き込み、調理師を志す一番の立役者になったのはなんと言っても『包丁人味平』だった。

 料理漫画と言えば対決。この漫画も主人公・味平とライバルたちの対決をメインに書かれているのだが他と一線を画するのは、野太い劇画タッチと過剰な演出、荒唐無稽なストーリーににあるだろう。とにかくいちいち大袈裟なのである。歌舞伎役者が見得を切るが如く目をひん剥きながら繊細な盛り付けをしたりする。

 包丁人味平に関しては、解説サイトが多数あるのでここでは詳細は割愛。興味のある人は見てもらったり、或いは漫画喫茶で実物を読んでもらうとしましょう。

 ただひとつだけ、どうしても忘れられないエピソードが『潮勝負』で、塩のみで味付けしたお吸い物を作るというシンプルな対決。しかし、お吸い物など一度も作ったことがなく、熱湯が湯気を立てる鍋の前で大いに悩む味平。その様子を眺める審査員たち。そして悩む味平。ゴクリと唾を飲む審査員たち。やっぱり悩む味平…。

 どんだけ繰り返すんだ?と焦れはじめた頃にようやく、味平、塩を投入する。

 それを見ていた審査員一同、『これは味平の負けだ。』と確信する。どうやら投入した塩が少なかったらしい。しかし、その吸い物を口にするや驚愕。絶妙なる塩加減だったのだ。何故だ何故だ?そんなはずはない!とうろたえるが、審査員の一人は見ていたのだ。悩む味平の額から一滴の汗が鍋へしたたり落ちたのを。そして叫ぶ。

 『あのときの汗か!!』

 ばかか、あんたら。
 今ならすかさずツッコむところだが、ニキビ面で浅香唯好きの中学生だった私は、ただただおかしなベクトルへと素直に引き込まれて行くのみだったのだ。言うまでもないがこの話、荒唐無稽にもほどがあるし、なにはなくとも不衛生。うーん。この漫画を読んで調理師を目指したという事実が、今の私には信じられない。どういう思考回路だったのだろう。

 ちなみに、この勝負、味平が勝利した。

あんかけこわい。


 酒を飲んだ後ってぇいうのは、ご多分に洩れず茶漬けとかラーメンとか汁っけの多いものが食いたくなるなるものでして。やれ酒、やれ肉、やれ魚、フライドポテトにタコわさび!なんて酒池肉林の限りを尽くして…いやいや酒池肉林にしちゃ安いつまみじゃねえかというプロファイリングは粋じゃないから置いてもらいましょう。でまあ、それほど飲み食いしたにも関わらず、舌の根も乾かぬ間に腹が空くっていうのは自分の身体ながら理解に苦しむ生理現象なんですけれども、こればっかりは操作の仕様がない。

 ただ問題なのはそれを食べたくなるタイミングであるわけで。たいていが自宅最寄の駅が見えて来るってぇ頃に小腹が空いて空いて、それはもう狂おしいほどに小腹が空いてたまらなくなるっていうから思案に余るほど質が悪い。これはなんとしても寝床に着く前に、狂おし小腹に決着をつけねば収まりよく寝ることなんかできゃあしない。致し方なく界隈のラーメン店へでも足を運んでカウンターでひとり麺をずるっと啜って風呂にでもへえって寝てしまおうかと思うが飲んで騒いだ後の振る舞いとしてはすこぶる寂しい。

 それだったらコンビニエンスストアでインスタント麺を手に入れて、部屋の隅で無感動かつ機械的に流し込んでしまうとしよう。そうだそうだそうしようってんで、早速インスタント麺の一画に足を運んで気抜けするやら、かちんと来るやら。なんと目当てのきつねそばが見当たらない。一方のたぬきそばは棚に並んではいるが、例の古ぼけた離乳食みたいなふやけた天ぷらがどうもいけない。いけすかない。なんできつねそばがありまへんの?ないものはないから諦めるしかないのだが、解せないのは「京風あんかけうどん」だの「海老と青菜の卵あんかけ XO醤仕立ての醤油拉麺」だの、ほかにも「あんかけ何とやら」等のあんかけ麺類の豊富さ。これは一体どうしたことかね。何をそんなにあんかけたいのか。何をあんかけ急いでいるのか。誰かね、こんなにあんかけのラインナップを揃えたのは。なになに、店長だって?

 ドンドンドン!店長いるかい?あんかけ店長いるかい?あのねえ、あたしゃ猫舌なの。いつまでも冷めないどろっとした輩は好きじゃあないんですよ。腹がぺこぺこ、略して腹ぺこなのに、溶岩の如く熱いあんかけが冷めるまで割り箸片手に唾液を飲み飲み辛抱しなきゃいけない不憫な心持ちがあんたにゃあ分かるかい?

 てな具合に糾弾したいが酔っ払いの言うことなんかまともに聞いてくれやしないと思い巡らし、仏頂面でシーフードヌードル買い入れ啜って寝た。ああ、あんかけよ。あにょはせよ。お前を受け入れる舌が是非とも欲しい。

あなたとなら死んでもいい。


 二葉亭四迷は「I LOVE YOU」を「あなたとなら死んでもいい」と訳した。という文章を読んで奥歯がガタガタ言うくらいのショックを受けた。と同時に胸が苦しくなってドキドキがしばらく止まらなくなった。

 もし二葉亭四迷が生きていたら、「すげぇよあんた」と絶賛して、近くの定食屋で生姜焼き定食とビールでもおごって、帰りにまるごとバナナをデザートとして握らせたいくらいだ。

 なんでこんな訳にしたのか、その意図を知りたくて検索してみたらば、ツルゲーネフの「片恋」を翻訳したときに生まれたとのこと。ツルゲー・・・読んだことねえなあ、と苦手意識に遠い目(白目)をして(剥いて)しまったことは置いといて、ツルゲーネフはロシア人。もちろん英語じゃないので「I LOVE YOU」にあたるロシア語を訳したというのが真相らしい。なんつうややこしい。ついでに言えば、「あなたとなら死んでもいい」以外にも、「死んでもいいわ」と訳したとするサイトもあったりして、情報が少々錯綜。もひとつ言えば、「I LOVE YOU」を日本語に訳したのは二葉亭四迷が初めてで、しかも当時の日本には「貴方を愛しています」という日本語自体がなかったらしい。

 どっちにしろ、嫉妬から素手で電話帳を破りたくなるくらいにかっこいい訳なことには変わりなし。例えば手近な翻訳サイトで「I LOVE YOU」を入力してみると「私はあなたを愛しています。」と出た。昼ドラだって、こんな税込み278円くらいの安ゼリフ使わない。確かに間違ってる訳じゃないけど「愛してる」でさえ恥ずかしがって言えないのが日本人なのに、なにをかいわんや。

 その証拠に「貴方を愛しています」という日本語がなかったのは、日本人が得意とする回りくどい言い方で愛を伝えてきたからなんじゃないかと。「君の味噌汁が飲みたい」だの「ずっと一緒にいてください」だの「一緒に税金を払って行こう」とか、意地でも「愛」を使わない愛の表現に血道を上げていることからも分かるんじゃなかろうか。

 ちなみに、二葉亭四迷を読んだことがあるような無いようなアホ面な私ですが、二葉亭四迷の名前の由来だけは知っている。小説家になろうとする彼に父親が「くたばってしめえ」と怒鳴ったから。というボキャブラ天国みたいな理由。そんな自虐的なセンスが限界まで研ぎ澄まされて、「あなたとなら死んでもいい」をひねり出したんだと思いたい。

 明日、本屋で「浮雲」を立ち読みしてみようと思う。