冷めたらおいで


 
 とある場所で、「ほとぼりって一体なんのことなんですかね」という問いかけがあり、「ホットコーヒーが訛ったかなんかしたものです」と返信したのですが、この場を借りて少し補足したいと思います。

 上記において「訛ったかなんか」と濁したのは、有力な説として一般的に流布している”聞き間違い説”ではなく、個人的に”訛り説”のほうを支持しているからなのですが、つまり、こういう説です。

 ホットコーヒー —> ホットボディ —> ホトボリ

 コーヒーを飲んで体が温まった(ホットボディ)ものの、凍てつくような外気温で口がうまく回らず(ホトボリ)と訛ったのではないか。と、こんなふうに推測しています。ですから、「ほとぼりが冷めたらおいで」という言い回しは「ホットコーヒーが冷めたらおいで」と同義です。

 では、どれくらいの温度で「冷めた」と判断するのか。私の元にもしょっちゅう『何℃になったら大丈夫なのでしょうか?』などというメールが届きますが、これは、「冷め」の対象がホットコーヒーであるということに気が付けば答えは出たようなもので、ホットコーヒーとして美味しく味わえない温度ならば、それが「冷めた」状態なのです。ごく稀に『まだ冷めてないです、ぬるいです』などと反論される方もいらっしゃいますが、それを飲んで「美味しい」と感じるのですか? そうです、あなたの言うそれは、すでにホットコーヒーではないのです。

 つまり、あなたが誰に対してどんな失礼な、或いは、酷いことをしてしまったのか、それは敢えてお聞きしませんが、手元のホットコーヒーを口に含んでみて、飲み頃を過ぎていると感じたのなら、その方の所へ顔を出してもよいのではないでしょうか。目安ですか? そうですね、だいたい15分でしょうか。

 

佐藤や鈴木や高橋は


 駅前の垢抜けない居酒屋に首を揃えた佐藤と鈴木と高橋。ニッポンの苗字ベスト3のありふれたボクらは、擦り切れた座布団に胡座をかき、または立て膝をつき、壁にもたれ、それぞれ思い思いの格好でもって、ありふれた料理を食み、ありふれたアルコールを飲み干し、追加し、トイレと座布団とを何度か行き来し、新年の抱負的なことを交わし合ったり、『アイドル歌手を脱がせたい』とか『AV女優に服を着させたい』とか、そういったことを話し合った。

 佐藤がカウンターの奥に呼びかける。
「おっちゃん、酒気帯び牛乳!」
「なにそれなにそれ? オレもそれ!」
「高橋は?」
「えっ!? あ、そしたらオレも!」

 勢いで頼んでしまったが、出てきたのは焼酎の牛乳割りだった。3人で白いグラスを傾けると酒席はたちまち給食の時間的な雰囲気を帯びた。その旨を告げると、佐藤と鈴木は「あー」としか反応しなかった。中学の頃、遊びに行った佐藤の家で、おやつにピクルスが出てきたことがあった。今となってはどういうチョイスセンスなのかと驚くが、当時、ボクはピクルスというものを知らなかった。佐藤が「きゅうりの酢漬けだよ」と教えてくれた。途端にボクはひらめいて「オイ、酢漬け!」と鈴木を呼んだ。確かあの時も、今みたいに「あー」な反応だったはずだ。

 佐藤が「無茶をしたい」と言った。例えば? と聞いてみると、『メジャーデビュー』とか『高級寿司の大食いに挑戦』とか『ノーパンで電車に乗る』とか『女子高生に胴上げされたい』とか『神と和解したい』とか、無茶というよりも、剥き出しの欲望たちを次々と並べ立てた。「それは違う」ボクと鈴木が声を揃えると、むむうと考え込んで「じゃあ信号無視は?」と言った。

 なんだか佐藤は、無茶と童心とを混同しているようだった。まあ気持ちは分からないでもない。ボクらはずっと大人の階段を登ってきた。出し抜けに子供のコツを会得するのは困難だ。童心に返るには、子供への階段を一歩一歩登らなければならない。その手始めとしての信号無視。当初の提案に比べ、いささかスケールが小さすぎるものの「そのくらいなら」と思わせる手のひらサイズの無茶に、ボクと鈴木はつっかえながらも頷いた。

 外はかなり冷えていた。ごくごく細かい雪がひょろひょろと落下してくる。
「降るって、言ってたっけ?」
 空中を見上げながら呟く。
「あー」
 反応を示す二人。落下してくる雪の音を聞くことが出来そうなほど、しんとする駅前。見渡す範囲には、ボクたち以外の生命体は確認できない。
「急げ!」
 突如、駆け出す佐藤。慌てて後を追うボクと鈴木。赤から青へと変わったばかりの横断歩道で佐藤は立ち止まる。ボクと鈴木もその横に並ぶ。なんなのこれ? という視線を送ると「信号、無視」と、『どう? この、逆転の発想は』みたいな顔つきで言ったので、なんとも癪に障った。佐藤はすでに童心をマスターしていた。というよりも、いまだに大人の階段を登っていないのかもしれない。そしてたぶん、それに付き合うボクと鈴木も。

 そうして3人で、顔面を青く染めながら、信号無視をした。
 唐突に吹き抜けた強く短い風が、酔いで火照った頬を冷ます。考えてみるに今ままでのボクの生き方は、青信号でさえ、こうして渡らずにいたような気がする。これからは青信号はもちろん、赤信号でもどんどん渡ってぐんぐん進んで行こうと決めた。それがボクの、今年の抱負だ。佐藤と鈴木には黙っておくことにした。だって、反応はたぶん「あー」だ。

七三日記(0121)


■僕なんかは「出来ちゃった結婚」っての本当はあれ「出ちゃった結婚」だと思ってるんです。どうして「出来ちゃった」のかを考えればおのずと結論が出ちゃうわけです。■結果を掲げて原因をくらませる巧みな手法、なんて言うと悪意が滲みますけど、考えの硬い人間ではありませんから「順序が逆」とか「けしからん」みたいなことは言いません。むしろ「おめでとう」って祝福したいですし、実際、そう言いますし、なんなら結婚式にも出ちゃいます。■片道二車線の国道を走っていたら「左に寄れ」という看板が。どうやら工事のようです。■「ごめんねごめんね入れさせて」ってウィンカーをチカチカさせて左車線に割り込んで、ハザードの点滅で感謝の意を表明。って、そこまでやったのにも関わらず、左車線で工事しとる。■馬鹿野郎! もう、なんか、みんな慌てつつも、よろよろしながら右車線に寄り戻ってて、要するに看板が間違ってたんですけど、もんの凄く腹が立って立って立って、かつ、青筋を立てました。今となっては「なにもそこまで」って感じなんですけど、どういうわけかその時は、自分の邪悪な面が出ちゃいました。■あちこちにモーテルの看板を見かけます。私にとっては縁のない建造物ですが、一度気になりだすと「あ!」「あそこにも!」「またあった!」といった感じでキリがありません。つまり、キリがないほどあるのです。■さらにここ一年ほどで新しい看板がかなり増えました。そんなにも需要増なんでしょうか。あれですかね、もしかしたら厚生労働省の少子化対策の一環なんですかね、秘密裏で実施してるような。うわ、今、なんか、ちょっとした裏事情を知った気分になって、テンション上がって、ドーパミンが出ちゃいました。■モーテルといってもネーミングは様々です。こないだ「カーニバル」ってのを発見したんですが、躍動感のあるフォントで、看板全体もワクワクするような色使いだったんです、ああ、一体どんなんでしょうかね?■入った途端、弾けるようなサンバ的音楽と七色の光を放つボール状の照明がくるくる回ってお出迎え。むっとするような室内温度でもう気分は常夏。見渡す室内に配備された、ハンモック、椰子の木、トロピカルドリンクの3大南国要素が気分をダメ押し。さらに、ドでかいプラズマテレビの隣にはWiiがあって、キャッキャ言い合いながら体を動かして、疲れたらハンモックで冷たいトロピカルドリンクを飲んで、じゃあ次はテニスで勝負ね! なんて感じでまた体を動かして、さ、汗もかいたしシャワー浴びよう。あーさっぱりした。忘れ物ない? ないよね? よし、じゃ帰ろうか。2時間で、え? 3500円? やっすぅーい!!!■ぜんぜん少子化対策に寄与しないモーテル。■あー、この妄想、なんかもう、どうでもよすぎちゃって、涙が、出ちゃった昨今。

みんな大好き、一休さん


「一休さーん! 一大事でござる~!」
 石畳を打ち鳴らす蹄の音に、早朝の境内はただならぬ緊迫に包まれた。
「これはこれは新右衛門殿、こんな早くにどうなされましたかな」
「い、い、い、いっきゅ、いっ、いっきゅ・・・・・・」
 腕を組み泰然自若として出迎える和尚は、肩で息をする新右衛門を見据えたまま奥へ向け呼びかける。
「おーい一休や、新右衛門殿が参っておるぞ」
「はーい、お呼びでしょうかー?」
 和尚の呼びかけに対し、竹ぼうきを携えた一休は門の方角からひょこりと顔を覗かせた。
「なんだ、一休、そっちにいたのか」

 新右衛門に連れられて足を踏み入れた広すぎる座敷の上座には、将軍がどってりと寝そべっていて、その傍らには桔梗屋が腕を組み座っていた。
「待ちくたびれたぞ、一休よ」
「本日はどのような御用向きでしょうか」
 入口の襖を背にし、かしこまって座る一休に将軍は言う。
「まあまあ、こちらに来くるがよい」

 将軍は背後の屏風を指差しながら困惑の表情を作って言った。
「この屏風にな、描かれている虎がな、夜な夜な屏風を抜け出しては暴れ回って、たいそう困っておるのじゃ。なんとか退治してくれんかのう、一休よ」
 将軍はそう言い終えると扇で口元を隠し目配せをした。それを受けた桔梗屋は小刻みに肩を揺らしながらいやらしい笑みを浮かべた。入口で正座をして待つ新右衛門は、事の成り行きを心配そうに見守っている。

 一休は何も言わず胡座をかき目を閉じた。そして、両手の人差し指をひと舐めし、側頭部に2回、円を描いた。どこから聞こえてくるともなしに耳に届く木魚の音色。それは一定の間隔を保ち、鳴り続けた。将軍の耳打ちに卑下た笑みで答える桔梗屋。そわそわと落ち着かない様子で一休を見つめ続ける新右衛門。いったいどれくらいの時間が経っただろう。ふいに木魚が鳴り止み、同時に仏鈴が鳴り響いた。

 カッと目を見開き勢いよく立ち上がる一休。懐にしまった数珠がじゃらりと音を立てる。笑みを消し去り、一休の振る舞いを目で追う将軍と桔梗屋。微動だにせずゴクリと息を呑むだけの新右衛門。そして一休は、ずかずかと屏風の前へ進み出て仁王立ちとなり、屏風をしげしげと見つめたのち、両手をぐっと強く握りしめ、顔だけを将軍のほうに向け、あらん限りの声を張り上げて言った。

「なんでそんな無理難題言うんですか!!!」

 それを言ったときの一休の顔面は、憤怒によってひどく歪み、あまつさえ、唇はわなわなと震えてさえいた。