健こうしんだん


ボクは こないだ 健こうしんだんにいきました。

ボクは あさ起きたとき すぐにおしっこが出たくなります。

おちんちんのうえのおなかのところが ぱんぱんになっていて
いっつも 「もれるもれる」といいながらトイレいきます。いっぱい出ます。

だけどきょうは 健こうしんだんのば所で おしっこをするので がまんです。

でも そのとき ボクは 健こうしんだんのば所まで 1じかんくらいかかるとゆっていたのを おもい出しました。

ボクは 絶たいにがまん出きないとおもいました。
でも いまおしっこ出たら 健こうしんだんのば所で 出ないとおもいました。

ボクは どうしたらいいのか わからなくなって なきそうとおもいました。

だけど ボクはそのとき はつ明をしました。おとながいつもゆってる
「せっちゅうあん」を気がついたので 半ぶんだけ おしっこを出そうとおもいました。

ボクは そうっと おしっこをしました。ちょろちょろ出しました。
そしたら 気もちがよくて おしっこがだんだん加そくして
じょーじょー出ました。

だめだ! とまらない。

だけど ボクは おちついて がんばって おちんちんの ね元のところにちからを入れて がんばて おしっこを止めたです。

そしたら すこしだけ のこったです。よかったとおもいました。
でも おちんちんのうえのおなかのところが きもちがわるくなったです。と中でおしっこをやめるのは からだがよくない思いました。

健こうしんだんのば所についたとき しんちょうと 体じゅうを はかったとき 「これにおしっこをしてくださいね」 と紙のコップを おねえさんにもらいました。

トイレのまえで かいしゃのおじさんに 「どれくらい入れればいいの?」ときいたら べつのおじさんが 「満タンだ! 満タン! なみなみにこぼれるくらい入れろ」とゆってきました。

そしたら おじさんたちは がらがらしたこえで 「わはは わはは」 とわらいました。

ボクは おとなのビールのマネをして 紙のコップに口をちかづけて 「おっとっとっとっと」とゆったら 中ねんたちは「がはは ぐはは」と おおいに わらっていました。

そしたら 中ねんたちが わらったとき いきが 生ごみのにおいしました。
ボクは このなかのだれかが びょう気とおもいました。 

 ボクは35さいより わかいので バリウムとゆうやつは のみませんでした。レントゲンしました。

 中ねんたちが 大きいバスの中から 牛にゅうをのんだみたいな口で 出てきました。

そして 「宇ちゅうゆうえいみたいだった」とゆいました。
つかれたかおをしてたです。

 「ボクも宇ちゅうゆうえいしたいなあ」とゆったら
「やれやれ!いまからやれ!」とゆわれました。

 ボクは 丁ねいに おことわりしました。

アナーキー・イン・ザ・農道


 
 町道や村道や農道などの、いわゆる田舎道は景色に代わり映えがない。だから、あれ? さっきこの道走ったよね? と四次元空間に迷い込んだ気分になることがしばしばある。

 そんな田舎道において目立つ存在といえば、座り込む年寄りである。
 どすん。と尻餅をついたような姿勢で道端に腰を降ろす姿には、いつもヒヤリとさせられる。さらに肝をつぶすのは木の下の年寄りで、特殊な昆虫の生態みたいに、幹の色と着ている服の色が同化して、至近距離までその存在に気付かないのだ。

 とにかく、どこにでも座り込む。
 草の上、やぶの中、木の下、地蔵の隣。年寄りたちにとって、座れない場所は皆無だ。この構図は、腰履きジーンズで、「ハンパねえ」などとのたまいながら路上に座り込む若者と同じである。そういう文脈からいくと、田舎道の年寄りはストリート系なのである。

 そんなわけで、まあ、座り込んでいるだけなら微笑ましいのだが、ごくまれに考えられない光景を目にしたりもする。

 しわくちゃの老婆が、沿道の畑にしゃがみこんで放尿していたのである。
 しかも、あろうことか老婆は、車内の私たちに視線をしっかりと合わせてくるではないか。もちろん、放尿を止めることなく。

 助手席のKさんと2人、黙りこくってしまった。
 想像を絶する光景を目の当たりにして言葉を失ったのと同時に、何も見ていない事にしたいという切実な沈黙でもあった。

 「・・・ったく、あの婆っぱ、あんなとこで」。Kさんが苦々しく呟いたのは、いくつかの十字路を右に左に曲がり、広く長い直線に出たあとだった。「・・・こっち、見てましたよね」ハンドルを握りながら、絞り出すようにして私も答えた。

 いま、蘇る記憶に頭を掻きむしりながらキーボードを打っている。ああ、脳がハードディスクだったら、あの記憶だけをゼロで何度も何度も上書きしたい。しかし、そんな葛藤の一方で私は考える。

 若者の言葉を借りれば、あの老婆の、ハンパねえ羞恥心のなさを武器にしたハンパねえアナーキーなパフォーマンス。ある意味、「生きるエネルギー」に満ち溢れたこの記憶を、町中の路上に座り込みクレープ食いながら、「ハンパねくうめえ」などとのたまっているハンパな若者の脳みそに、消去不可のロックをかけたハンパなくハンパねえ放尿の記憶として忠実にコピーしてやりたい。「ハンパねえ」っていうのは、こういうことなんだと教えてやりたい。それが嫌なら、腰履きのジーンズを脱いで老婆と同じステージに立て。それも嫌なら、路上を去ってファミレスとかに行け。そして、「ハンパねえ」とかいう中途半端な言葉、二度と使うな。中指を立てながら、私は、そう言ってやりたい。

 だから、わたs

 あ、・・・えっと、うまいオチが見つからなくてですね、まあ、こんな感じでいいかなあと、だいたいは出来てますもんね? ね? 言いたいこともある程度言えたし、ま、ビシっと決めたいとこだけど、なんかもう眠いし。いいですよねえ? あ、あ、中指立てないで! ごめんなさいごめんなさい。

Sex Pistols-Anarchy In the U.K.
http://www.youtube.com/watch?v=4bM_l443VV4

プリクラ


 
 道端にプリクラが落ちているのが見えた。
 16分割された文庫本サイズのその紙に近づき、下世話な興味丸出しで拾ってみたらハゲの写真だった。
 
 うひぃ! 思わず声がでてしまった。
 それは、てっぺんハゲの増毛課程を16分割した雑誌の切り抜きだったのだ。触れた指先からハゲのエキスが染みこんでくるような気がして、近くのパチンコ屋に駆け込み、トイレで手を洗った。何度も何度も。何度も洗った。

 あれは、いったい、なんだったんだろう。
 なんで、こんなミラクル、起きるんだろう。
 だけど、なにも分からない。

 こんなことが、よくあることなのかどうか分からないけど、この記事を読んでくれた人にだけ伝えたい。同じ轍を踏んで欲しくないから、伝えたい。道端のプリクラには注意してほしいと。

平成19年6月22日(金) まとはずれ記す
 

なめこ


 
 ごみ置き場で、大量のなめこを見つけた。
 おそらく20袋はあった。ごみ袋の上層部に、頭でっかち状態で詰め込まれ、ごろんと寝ころんでいたのだ。

 周囲には田植えを終えた水田が青々と広がっていて、飲食店は見当たらない。では、一般家庭がいったい何を当て込んで、これだけのなめこを買い入れたのかと想像するが、「なめこパーティーを開く予定だったのに全員にドタキャンされた」くらいの月並みなケースしか思いつかない。

 そういえば。
 グルメ番組の「厳選食材!」コーナーで、茨城のなめこ栽培業者が、なめこのてっぺんを指で触って、「ウチのなめこは、ほーら、ぬるめぎがすごいでしょう?」と言っていた。「ぬるめぎ」は「ぬるめき」の濁った言い方で、俗に言う「ぬめり」のこと。おそらく東北近辺の方言だと思うが、知っていてもまず使うことはない言葉だ。それにしても、「ぬるめぎ」と言われたって、雑味がしそうで「うひょー、うまそう!」とは思えないのは私だけか。

 閑話休題。
 と思ったけど、そうだ思い出した。アダルトビデオメーカー担当者が集結し、より「いやらしいタイトル」を発表するという企画を、タモリ倶楽部で見た。ずいぶん昔のことでメーカー名は忘れてしまったが、秀逸すぎて度肝を抜かれたタイトルが、「なめこ汁」だった。そういうタイトルのアダルトビデオ。これにはまいった。タモリもマイクカバーをふがふがさせながら、しきりに「いいねえ、いいねえ」と興奮気味に繰り返していたのを覚えている。

 こんどこそ閑話休題。
 問題は、大量のなめこである。今どきの過敏な賞味期限モラルに照らせば、期限がきのう、おとといであろうことは想像に難くない。たぶんまだ食える。が、一旦捨てようと心に決めてしまったものは食えないのが人間の心理だ。だったら別の使い道、こんなのはどうだろう。

 なめこ風呂。
 菖蒲湯より湯冷めしにくい驚異的な保温力。熱々に火を通せば、罰ゲームにもなる。そしてなにより、「ぬるめぎ」による肌への保湿効果は計り知れない。ちょちょちょ、ちょっと。そんなに俄然、食いついて来ないでくださいよ、お嬢さん。待って、押さないでね、私はね、あのね、食べて体に問題ないなら肌にもイイんじゃないかって、押さないで、そう思っただけですよ、押すな、だからね医学的な裏付けなんてありませんから。民間療法みたいなものです。いいですか? お嬢さん。ソイジョイ。

 まあ、それでね、なめこ風呂に入ったら、温泉の作法に倣って、かけ湯をしないで上がること。はい、ここポイントね、お嬢さん。さっとパジャマを着て、肩まで布団をかぶって寝るの。そうしたら、寝てる間に「ぬるめぎ」がじーっくり浸透するから。ね? そうすると朝にはお肌つやつやで、お嬢さんからお嬢ちゃんに変身ですよ。え? いまさらお嬢ちゃんになってどうするかって? 旦那にかまってもらいなさいよ、そんなもん。ソイジョイ。インリンオブ? ソイジョーイ! いいねえ、ノリがいいねえお嬢さんたち、あ、ちょっとちょっと! そんなとこでM字しないで、お願いだから、やるなら旦那の前でやりなさいって。

 というわけで。
 全国のスーパー銭湯のオーナー各位へ。
 なめこ風呂、もしくは、なめこ湯。このアイデア、買ってみませんか? 不振な経営状態に強烈なカンフル剤を。ぜひ、一枚噛ませて下さい。

 あと、バラエティー番組プロデューサー各位へ。
 熱湯風呂はもう古いです。なめこ風呂へ切り替えの時期です。終わったら、スタッフ全員で美味しくいただけば苦情は回避できます。こちらも、一枚噛ませてください。

 

七三日記(0616)


 
■毛虫が道路を横断する日々。
■なぜに彼らはそんなことをするのか。道端から道端へ。いったい何があるっていうんだ、何が見えてるんだ、何をしにゆくんだ、向かいの道端に。木の幹にへばりついてりゃ難無しなのに、オマエたちがその場所から、行かなきゃならない理由はなんなんだ。
■「ねえちょっとぉ、こっちに来て楽しまなぁい?」向かいの道端で身体をくねくねさせた、いやらしいメスが誘うのだろうか。ほほん、なるほど。それなら行くかもしれない。男だったら行ってしまうだろう。いや、行く。照り返しのきついアスファルトをものともせず、なりふりかまわない蠕動運動でもって、まっすぐにゆくのだ。「なんか、誘い方が古くさい」なんてことには気付きもしないで、ひたすらにゆくのだ。
■そんなことを考えたら、大嫌いなはずの毛虫に、すこし愛着を感じた。そして、カッコいいとも思った。目的はどうであれ、向かうべき場所があるなんてオレ、うらやましいよ。そうそう、その調子。ほら、向こう側までもう少しだ。
■だけど今日もバンバン轢く。いちいち避けてたら、蛇行運転してしまうからである。毛虫の生き様など知ったこっちゃない。

■蛇行で思い出したが、少し前に、ヘビを轢いた。私が乗っていた助手席側の道端から、しゅるしゅると這い出てきて、「あっ!」と発する間もなくタイヤの餌食となった。
■轢いた瞬間、「パーン!」という音が聞こえた。パンク!? と驚いたが、運転手のEさんによれば、「ヘビを轢いたときの音」であって、重量のあるトラックで轢いた際に発生する現象なのだという。どういうメカニズムなのか知らないが、音からして破裂したのだろう。ううむ、轢かれたヘビがバーストして音を出すとは、ショッキングな事実である。
■道端の藪から、「しゅるしゅる」と出てきて、「パーン!」と轢かれる。花火かよ、オマエは打ち上げ花火かよ。
■「花火のような死に様だった」と書けば、潔い感じがしてカッコいいが、数分後、同じ道を引き返すと、さっきのヘビがぐるぐるにもつれ、のたうち回っているのが見えた。まるでネズミ花火みたいに。「生きてますよ!」と思わず叫んでしまった。「ヘビはしつこいからねえ」Eさんがひゃひゃひゃと笑う。だって、さっき、破裂したのに。どうやら、頭を轢かない限り即死はしないものらしい。しかしながら、いくらしつこいとは言っても、その余命は線香花火ほどであろうと思われる。
■いろんな花火に例えすぎて混乱している。
■気味が悪くて一瞬で目を逸らしたが、その死に際は夢にまで出てきた。それほどにインパクトある光景だったのだ。Eさんは、あっけらかんとして、聞いたことのない鼻歌を奏でながら右折する。
■梅雨が去れば、夏がやって来る。ネズミ、打ち上げ、線香花火。それぞれの、夜を彩る夏の音を聞くたびに、私は、あのヘビを思い出すことになるだろう。いつまで経っても、私の記憶の空を、のたうちまわって彩り続けるのだ。