町道や村道や農道などの、いわゆる田舎道は景色に代わり映えがない。だから、あれ? さっきこの道走ったよね? と四次元空間に迷い込んだ気分になることがしばしばある。
そんな田舎道において目立つ存在といえば、座り込む年寄りである。
どすん。と尻餅をついたような姿勢で道端に腰を降ろす姿には、いつもヒヤリとさせられる。さらに肝をつぶすのは木の下の年寄りで、特殊な昆虫の生態みたいに、幹の色と着ている服の色が同化して、至近距離までその存在に気付かないのだ。
とにかく、どこにでも座り込む。
草の上、やぶの中、木の下、地蔵の隣。年寄りたちにとって、座れない場所は皆無だ。この構図は、腰履きジーンズで、「ハンパねえ」などとのたまいながら路上に座り込む若者と同じである。そういう文脈からいくと、田舎道の年寄りはストリート系なのである。
そんなわけで、まあ、座り込んでいるだけなら微笑ましいのだが、ごくまれに考えられない光景を目にしたりもする。
しわくちゃの老婆が、沿道の畑にしゃがみこんで放尿していたのである。
しかも、あろうことか老婆は、車内の私たちに視線をしっかりと合わせてくるではないか。もちろん、放尿を止めることなく。
助手席のKさんと2人、黙りこくってしまった。
想像を絶する光景を目の当たりにして言葉を失ったのと同時に、何も見ていない事にしたいという切実な沈黙でもあった。
「・・・ったく、あの婆っぱ、あんなとこで」。Kさんが苦々しく呟いたのは、いくつかの十字路を右に左に曲がり、広く長い直線に出たあとだった。「・・・こっち、見てましたよね」ハンドルを握りながら、絞り出すようにして私も答えた。
いま、蘇る記憶に頭を掻きむしりながらキーボードを打っている。ああ、脳がハードディスクだったら、あの記憶だけをゼロで何度も何度も上書きしたい。しかし、そんな葛藤の一方で私は考える。
若者の言葉を借りれば、あの老婆の、ハンパねえ羞恥心のなさを武器にしたハンパねえアナーキーなパフォーマンス。ある意味、「生きるエネルギー」に満ち溢れたこの記憶を、町中の路上に座り込みクレープ食いながら、「ハンパねくうめえ」などとのたまっているハンパな若者の脳みそに、消去不可のロックをかけたハンパなくハンパねえ放尿の記憶として忠実にコピーしてやりたい。「ハンパねえ」っていうのは、こういうことなんだと教えてやりたい。それが嫌なら、腰履きのジーンズを脱いで老婆と同じステージに立て。それも嫌なら、路上を去ってファミレスとかに行け。そして、「ハンパねえ」とかいう中途半端な言葉、二度と使うな。中指を立てながら、私は、そう言ってやりたい。
だから、わたs
あ、・・・えっと、うまいオチが見つからなくてですね、まあ、こんな感じでいいかなあと、だいたいは出来てますもんね? ね? 言いたいこともある程度言えたし、ま、ビシっと決めたいとこだけど、なんかもう眠いし。いいですよねえ? あ、あ、中指立てないで! ごめんなさいごめんなさい。
Sex Pistols-Anarchy In the U.K.
http://www.youtube.com/watch?v=4bM_l443VV4