七三日記(0903)


 
■なんだか分からない講習会を受講するために東京へ。いろんな人とほぼ毎日飲んだ。むしろこちらがメインで臨んだ5日間。すごく楽しかった。ギリギリ夏の思い出に滑り込ませることができたような気がする。ただし、多少の問題点はあった。
■ある友人とメールで事前連絡を取った際、「美味しいお店知ってる?」と聞かれた。しかし、東京を離れた私には和民と白木屋の記憶しか残っていないのだった。googleで「美味しいお店」と入力したら200万件ヒットした。うーん。お店決定の主導権はぜひあちら側に握らせたい。どうしたものかと案を練っているうちに、試しにむずがゆいセリフでも言ってみるかと思い立って、「美味しい店? ○○ちゃんと一緒なら、なんだって美味しいよ」と返信してみた。送った後で、取り返しの付かないことをしてしまったような気がして恐ろしくなった。ほぼ丸一日後に返事が届いた。
■「んじゃ、なにが食べたい?」
■なるほど、無視か。向こうサイドがかさぶたにしたがっている傷を剥がしてなんになる。無難な返信をしようとしたが待てよ、これは試されている。「食べたいのは君だよ」というボケのためのネタ振りかもしれない。むむう、としばらく悩んだが加齢臭の漂いそうな高リスクの返信を思うと親指の震えが止まらなかったので、「じゃ、和風で」と返信しておいた。
■新宿のなんとかという店で、うまいのかどうか分からないクーポンのサービスワインを傾けながら、やわらかすぎる豆腐をつまんだりした。飲んでる途中でふと思い出し、「○○ちゃんと一緒なら、なんだって美味しいよって送ったのに・・・なっんのリアクションもねえのな!」と文句を言ったら、なぜか呼吸困難になるくらい笑い転げていた。

■別の友人とは当日に連絡を取った。「うまい店をよろしく」「場所はどこがいいの?」「いい店ならどこでも」というやりとり最後に、しばらく返信が途絶えた。いい店を探してくれているのだろう。私とは言えば、いい機会なので小難しい本を読むために喫茶店にこもっていた。にしても返信が遅すぎる。途絶えてから2時間。本にもとっくに飽きていた。催促のメールを送っても応答がない。・・・まさかコイツ!
■いそいで電話をかけようとしたら返信が届いた。「ごめん!渋谷で!」。十中八九寝ていたに違いない。本気で腹が立ったのでもう帰ってしまおうとさえ思ったのだが、顔をひくひくさせて待っていると「きゃー、ごめん!」などとのたまいながら近づいてきた。「まさか、寝てたんじゃねえだろうな!!??」と肘を小突くと、「なんかーお化粧してたら記憶を失っちゃったの」と言った。「それを寝るって言うんだよ!」

■雑。扱われ方がなんか雑な気がする。今回の2件でそう感じて、哀しい気分になった。哀しい川を翔けたくなった。

七三日記(0824)


 
■夏が終わってしまった。
■何をセンチメンタルな。と思うかもしれないが、夏生まれに見えない男グランプリ東北ブロックベスト16の夏生まれで夏大好き男の私が言うのだからちょっとは許して欲しい。
■何もない夏だった。海に行ってない、花火もしてない、ビアガーデンも行ってない、かき氷もすすってないし、なんのアバンチュールにも出会ってない。ただただ暑いだけの不甲斐ない夏。そんな夏に更新した文章を読み返してみると、これ、脳が沸騰してるというか、熱暴走というか。なんだか申し訳ない気分になった。
■何もない夏の締めくくりとして、中年男女の暑苦しい夏物語を書こうと思った。「純文学」などと大見得切ったサブタイトルまでつけたのだが、うまく書けなかった。

■ああ、本当に何もない。なんかしらあるだろうと思うのだがまるっきりゼロだ。あ、でもこんなことならあった。

■駅前を歩いていたら、背後から小さな女の子がタタタと走ってきて私の前方で振り返り「あっかんべー」をした。よもや自分に向けられているとは思わずキョロキョロ辺りを伺ったのだが、それらしき対象人物はいない。とりあえず私は女の子へ向かって中指を立てた。どうせ意味など分かるまい。それを見た女の子は再び走り出し、数メートル先でまた振り返って「あっかんべー」をした。中指を立てようと思ったら女の子はすでにどこかへ走り去って見えなくなってしまった。
■小さな女の子との小さなゆきずりだった。なんだかよく分からないがそう思った。どうせなら、おとなの女の子とゆきずりたかった。でもゆきずれなかった。……ああ、そういや、こんなこともあったっけ。

■運転手のWさんが「あっ」と指差す先を見ると、道路の真ん中で子犬がのたうち回っていた。さっきすれ違ったばかりのトラックが脳裏に浮かぶ。きっと轢かれたのだろう。ショッキングな光景に耐えきれず目を覆った。しかし、車を止めたWさんの「あれ?」に顔を上げてみると子犬はぴんぴんしていた。それどころか私たちに向かって「ワン!」と敵意のひと吠えまでしてみせた。結局の所、子犬は轢かれてのたうち回っていたのではなく、ぺしゃんこに干からびたヘビの死骸にじゃれていただけだったのだ。無邪気に。
■ちゃんと繋いでおけ。飼い主にそう言いたい。伝えたい。言付けしたい。伝言ゲームで伝えたい。矢文を射りたい。あ、そうそう、その帰りにガソリンスタンドで給油したときのこと。

■ものすごく丁寧な店員に出会った。「満タンでよろしいですか?」「吸い殻、ゴミなどございませんか?」などと丁寧な言葉使いで嫌み過ぎない笑顔の接客。見れば「見習い中」の腕章。ふてぶてしい態度の見習い店員が多いなか、久々に「ええやん」と感じた見所のある好青年だったのだが、帰り際に帽子を脱ぎデタラメな方向へ視線を向け、「あるつぉあーす!(ありがとうございます)」と言った。
■なんだよそれ。やけっぱちじゃねえかよ。最後で気を緩めるなら最初から緩んどいてほしいものだ。あ、あ、んだんだ、ガソリンスタンドついでに思い出したことがある。

■セルフのスタンドで給油していたら店員が近寄ってきて、うまい棒をくれた。めんたい味だった。「なんですか?」と聞くと「サービスです」。みんな暑さでアタマがどうかしてるんだろう。とりあえず、小さい声で「あるつぉあーす」と言ってみた。
■窓全開でうまい棒をかじりながら夕暮れの道路を飛ばしたら、夏の終わりの匂いがした。センチメンタルな気分に酔っていたら、匂いがどんどん強くなってきた。夏の終わりじゃなくて堆肥の匂いだった。急いで窓を閉めた。なんだかなあ、で夏が終わった。

七三日記(0616)


 
■毛虫が道路を横断する日々。
■なぜに彼らはそんなことをするのか。道端から道端へ。いったい何があるっていうんだ、何が見えてるんだ、何をしにゆくんだ、向かいの道端に。木の幹にへばりついてりゃ難無しなのに、オマエたちがその場所から、行かなきゃならない理由はなんなんだ。
■「ねえちょっとぉ、こっちに来て楽しまなぁい?」向かいの道端で身体をくねくねさせた、いやらしいメスが誘うのだろうか。ほほん、なるほど。それなら行くかもしれない。男だったら行ってしまうだろう。いや、行く。照り返しのきついアスファルトをものともせず、なりふりかまわない蠕動運動でもって、まっすぐにゆくのだ。「なんか、誘い方が古くさい」なんてことには気付きもしないで、ひたすらにゆくのだ。
■そんなことを考えたら、大嫌いなはずの毛虫に、すこし愛着を感じた。そして、カッコいいとも思った。目的はどうであれ、向かうべき場所があるなんてオレ、うらやましいよ。そうそう、その調子。ほら、向こう側までもう少しだ。
■だけど今日もバンバン轢く。いちいち避けてたら、蛇行運転してしまうからである。毛虫の生き様など知ったこっちゃない。

■蛇行で思い出したが、少し前に、ヘビを轢いた。私が乗っていた助手席側の道端から、しゅるしゅると這い出てきて、「あっ!」と発する間もなくタイヤの餌食となった。
■轢いた瞬間、「パーン!」という音が聞こえた。パンク!? と驚いたが、運転手のEさんによれば、「ヘビを轢いたときの音」であって、重量のあるトラックで轢いた際に発生する現象なのだという。どういうメカニズムなのか知らないが、音からして破裂したのだろう。ううむ、轢かれたヘビがバーストして音を出すとは、ショッキングな事実である。
■道端の藪から、「しゅるしゅる」と出てきて、「パーン!」と轢かれる。花火かよ、オマエは打ち上げ花火かよ。
■「花火のような死に様だった」と書けば、潔い感じがしてカッコいいが、数分後、同じ道を引き返すと、さっきのヘビがぐるぐるにもつれ、のたうち回っているのが見えた。まるでネズミ花火みたいに。「生きてますよ!」と思わず叫んでしまった。「ヘビはしつこいからねえ」Eさんがひゃひゃひゃと笑う。だって、さっき、破裂したのに。どうやら、頭を轢かない限り即死はしないものらしい。しかしながら、いくらしつこいとは言っても、その余命は線香花火ほどであろうと思われる。
■いろんな花火に例えすぎて混乱している。
■気味が悪くて一瞬で目を逸らしたが、その死に際は夢にまで出てきた。それほどにインパクトある光景だったのだ。Eさんは、あっけらかんとして、聞いたことのない鼻歌を奏でながら右折する。
■梅雨が去れば、夏がやって来る。ネズミ、打ち上げ、線香花火。それぞれの、夜を彩る夏の音を聞くたびに、私は、あのヘビを思い出すことになるだろう。いつまで経っても、私の記憶の空を、のたうちまわって彩り続けるのだ。

七三日記(0519)


 
■今週は、晴れと雨が交互に訪れた一週間だった。
■土曜日は、降水確率60%だけあって降ったり止んだりした一日だった。ぽつぽつと来たのでワイパーを動かすが知らないうちに雨は止んでいて、びりっびりっぶりっびりっとワイパーが醜い音を立ててターンする。ゴムがだめになっているのだ。交換しなければと思うが、今度、今度と思いつつ忘れてしまう。
■ワイパーを停止し、ものの5分も経たないうちにまた雨が降り出す。ワイパーがぶりぶりを奏で始めたら停止する。と思ったら、本降りになる。と思いきや、あっさりと止み、ぶりぶりサインを受けワイパーを止める。その日は、ワイパーオン・オフの動作をそれこそ何十回も繰り返したのだった。
■ギアチェンジに加え、頻繁なワイパー操作を強いられたため非常に気ぜわしい運転となったのは言うまでもない。降るならじゃんじゃん降ってほしかった。まったく、はっきりしねえ野郎だ! と空へ毒づいたが、その台詞はフロントガラスで跳ね返り私の胸に突き刺さった。それはまさに自分自身のことであった。いたたたた。自爆。

■今年60歳になったばかりのKさんと話をしていたときのこと。
■どういう話の流れか記憶にないが、「俺、つでー持ってたんだ」とKさんが言った。「は?」と答えるとKさんは再び、「つでー」と言う。「つ、つでー?」と問い直す。「つでーだよ、つでー」「つでーですか?」「そう、つでー」「えーと、つでー、つでー、ええー?」「ほら、ホンダのつでー!」
■『ホンダToday』のことだった。まさか車のことだとは思わず何度も聞き直したが、Kさんも、自分の言っていることがよもや通じないとは考えもしなかったらしく、私たちは不毛な「つでー」合戦を繰り返していた。
■ある年齢以上の人には「トゥ」の概念がないのだろうか。えーと、名前が出てこないのだが、「ツナイ、ツナーイ!」というサビの歌があったはずだ。「今夜こそ、お前を、落としてみせーるっ」と続くやつだった。なんだっけ。

■もうひとつ、Kさんとの記憶ではこんな話もある。
■道端でKさんが「セーフ!」と声を張り上げた。出し抜けの発言に「え? え?」と戸惑っていると、地面を指差して「セーフ! セーフ!」と続ける。や、野球? と思ったが、直前までそんな話はしていなかったはずだ。ふと、Kさんが指し示す先を見ると何かが落ちていた。
■財布だった。どうやら、「せえふ」と言っていたらしい。Kさんは生粋の東北人である。私も同じく東北人であるが、東北弁で「財布」のことを「せえふ」と呼ぶなんて聞いたことがない。どう考えても落語の中か、ちゃきちゃきの江戸っ子が使うべき言葉だ。ちなみに、財布はからっぽであった。
■ついでに言うと、私の財布の厚みの60%はレシートと会員証の類である。もうすぐ梅雨が始まる。

七三日記(0430)


 
■運転中、狭い道で道を譲った時など、感謝の意として運転手同士が片手を挙げて挨拶することがある。その瞬間が好きだ。なんでか知らないが好きだ。猛スピードでかっ飛ばす車、無理な割り込み、執拗な煽り、狭い道での路上駐車など、路上は悪意に満ちあふれている。ストレスメーターはレッドゾーンを振り切って、キンコンキンコン警告音が鳴り響く。そんな路上において、運転手の良心を垣間見ることができる唯一の行為が、この挨拶なのだ。見つけたことはないけれど、劣悪な環境下で健気に咲くタンポポを見つけた時のような気分だ。そしてその気分は、自分以外の運転手はみんな卑劣で、悪代官ヅラで運転している。という、私の幻想をいくらか氷解させてくれる。

■だけど、手を挙げてくれない人もいる。余裕がないのかもしれないが挙げてほしい。挙げてくれたら嬉しいから、ただそれだけ。遠慮がちに挙げる人もいる。胸元で小さくパーを作っているのだ。いやいやいや。そんな皇室みたいな挨拶じゃなくって、「こん平でーす!!」くらい高々と元気よく挙げて欲しい。天井にぶつけて手首を捻挫したっていいじゃないですか。だいじょうぶだいじょうぶ。なんなら、正座して運転して欲しい。「アクセルもブレーキも踏めないじゃない」なんて正論の意見は粋じゃない。だいじょうぶ、だいじょうぶだいじょうぶ。単にその姿を見てみたいから、ただそれだけ。

■もひとつ、路上には死もあふれている。といっても人間ではなく、動物のことである。都会での運転経験がないので分からないが、田舎においては少なくとも週に一度は何らかの死骸に出くわす。圧倒的に犬や猫が多いが、見慣れない亡骸を見かける事もあり、聞けばタヌキやイタチだと言う。田舎ならではのバリエーションである。

■などと呑気に語っているけれど、実際に出くわすのはすごく苦手なのです。助手席ならば目をつむれば済むけど、運転手はそうはいかない。出来るだけそっぽを向いて視界に入らぬように視線を背けるものの、ハンドルを握ってアクセルを踏み、前に進んでいる都合上、完全に視界から外すことは難しく、「うひいぃあああ」と情けなく泣きながら通り過ぎることになる。ぐにゃりと横たわる姿が痛ましくて見てられないのだ。カラスがつついていたりもする。人間にしろ動物にしろ、魂の抜け落ちた肉塊を見るのは出来るだけ遠慮したい。したいが、しかしその一方で、どんな具合か気になる自分もいる。怖いもの見たさ、か。

■少し前に、沖縄料理の店で飲んだ。海ぶどうを食べた。沖縄料理の店に行った際には必ず注文するのだが、判で押したように毎回必ず品切れだった。で、今回初めて食べることが出来たのだが、うまい。酢醤油につけてもうまいが、ほどよい塩気があるのでそのまま食べてもうまい。味自体はそれほどないが、ぷちぷちした食感が癖になる。遅れて到着した友人に「うまいから食いなよ」と勧める。不審そうな表情をしつつ口に運んだが、「・・・まあまあ、かな」と反応はいまいちだった。しかし、その友人の記憶力もいまいちだった。「へえー、これが水ぶどうなんだ」って、「水じゃねえよ、海、海。そんな、水ぼうそうみたいな言い方やめてくれる?」

■言葉はもろい。食感の素晴らしい食べ物も、瞬時に湿疹レベルへと引きずり降ろされてしまう。オシャレなデザインで大人気の雑貨ブランド「フランフラン」だって、濁点を付せば「ブランブラン」で、タヌキの股間と同じ土俵に立たされてしまう。だたの小さな点々ではあるが、その爆発力たるや核兵器やケツバットと肩を並べる勢いである。言葉は、もろい。そして、その「もろさ」のパワーについて私たちはもっと知らなければならない。(神妙で固い感じの締めは、この記事のもろさを補強するベニヤ板みたいなものです)